2017年1月16日月曜日

メリル・ストリープのゴールデングローブ賞授賞式におけるスピーチについての考察

今回のメリル・ストリープのスピーチは歴史的にも価値のあるものであったという一般的な評価の反面、SNSにおいては99%に対する1%の富裕層の代弁者としての偽善であったという評価の両面で物議を醸しています。

はてさて、問題の本質はどこにあるのでしょうか?

私は、メリル・ストリープのスピーチにいち早く賛意を表明したロバート・デニーロとワンセットで考えてみたいと思います。

ロバート・デニーロはフランシス・フォード・コッポラの「ゴッドファーザーPartⅡ」において「PartⅠ」でマーロン・ブランドが演じたドン・コルリオーネの若かりし頃を演じ役者としての確固たる地位を確立しました。

彼は、イタリア系移民の子として生まれ、ドン・コルレオーネの役作りにおいては、シチリア島に住んで、イタリア語をマスターした後、マーロン・ブランドのしゃがれ声を完璧に模写したほどでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AD

代表作の「タクシードライバー」では、ヴェトナム帰りの元海兵隊員である主人公が精神を病んで、次期大統領候補暗殺を企て、テロリストへと変貌していく姿を描いています。監督はマーティン・スコセッシで、ロバート・デニーロとのコンビで数々の名作を世に出してきました。
マーティン・スコセッシもシチリア系イタリア移民の子として生まれました。

「ゴッドファーザーPartⅡ」のコッポラファミリーはシシリアンとの地縁、血縁のつながりが深いのではと推察しています。

マフィアであるシシリアンはアメリカにおいてもシチリア島出身者でなければボスにはなれません。
それほど、地縁、血縁を重んじます。

シチリアの歴史は古代、ギリシャ、カルタゴ、ローマと入れ代り立ち代りの支配を受け、中世においてはカトリック、イスラムの支配争いに翻弄され、近世においては、スペインの支配、ナポレオン戦争を経て、近代イタリア統一に向かいます。

シチリアではイスラム、カトリック等、宗教が混然一体として寛容性が育まれてきたわけです。

また、民族としは、北アフリカのチュニジアとも目と鼻の先で、カルタゴの支配をうけたこともあり、アラブ系(セム系)の住民が多いのも特徴です。

特に海洋民族のフェニキア人(セム系)が多く、地中海をまたにかけて、イベリア半島からエジプト、フェニキア地方(現在のレバノン)までの地中海交易において重要な役割をはたしてきました。

シシリアンのパレスチナの地への思いが深い所以です。

シルベスター・スタローンの「ロッキー」において、妻のエイドリアン役を演じたタリア・シャイアはフランシス・フォード・コッポラの実の妹です。

シルベスター・スタローンと大親友のアーノルド・シュワルツェネッガーの代表作は「ターミネーター」です。

「ターミネーター」の監督はジェームズ・キャメロンです。

私は今回のトランプ新政権のなかで、財務長官に指名されたスティーブン・ムニューチンに注目しています。
ゴールドマン・サックス出身ということばかり取りざたされていますが、ハリウッドの投資家として有名で、オリバー・ストーン、ジェームズ・キャメロンと親しい間柄です。

オリバー・ストーンの「プラトーン」はヴェトナム戦争批判、ジェームズ・キャメロンの「アバター」はアフガニスタン紛争、イラク戦争批判であり、二人ともアメリカの軍産複合体の暗部を抉り出そうとしてきました。

ハリウッドの映画業界はアラブ、ユダヤの大富豪の余剰金で成り立っていると言っても過言ではないようです。

それも、反戦、平和主義者によって支えられてきています。

メリル・ストリープのスピーチのなかで、人種、民族、宗教の差別による排除の論理が横行すれば、ハリウッドで映画を作る人はいなくなってしまうというくだりがありますが、まさにその通りだと思います。

ここで、よく考えねばならないことは、反ユダヤ、反イスラムについてです。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は三大一神教といえども、みな同じ旧約聖書を原典としています。
過去2000年の歴史においては、平和主義の寛容の精神で共存共栄してきたのが大半です。

一部の過激派に対する反イスラム的風潮と軍産複合体に操られた戦争屋による反ユダヤ的風潮を増長するような単純化は、本来穏健なイスラム、ユダヤの人たちにとって大変危険なものとなります。

トランプの政策は反イスラム、親イスラエルととらえる論調が大半です。
イスラムへの偏見とパレスチナ人迫害のイスラエル強硬派と与するのであれば、危険は際限なく増幅されていくことでしょう。

そういう意味でメリル・ストリープのトランプ批判は歴史に残る名スピーチであったと思います。

話を戻しますが、ロバート・デニーロはやはり「コッポラファミリー」として、シシリアンの地縁、血縁関係なのだと思います。(私の勝手な推測ですが、)

シチリアはキリスト教とイスラム教が共存共栄してきたところです。
人種的にはアラブ系が多く、シシリアンの心のゴッドファーザーはPLOのアラファト議長だったと聞きます。

メリル・ストリープのスピーチをロバート・デニーロの賛辞とワンセットで読むべき理由はここにあります。

イスラエルは今後単純化された反ユダヤ主義により、世界で孤立していく可能性が大きくなっていくものと思われます。

トランプの親イスラエル政策が、平和主義者の集まりのハリウッドのスポンサーであるスティーブン・ムニューチンの起用に見られるような深謀遠慮によって、パレスチナとの融和をもたらすことを企図したものであることを願ってやみません。

また逆にロバート・デニーロのメリル・ストリープへの賛辞がハリウッドは平和主義者ばかりではなく、テロに訴えることも辞さないことを暗に仄めかしているようにも思えてきます。

しかしながら翻って考えてみますと、メリル・ストリープのスピーチはトランプ批判であり、マスコミ批判であることはその通りです。

差別が差別を生み、憎悪を増幅し、暴力が暴力を生んでいく悪の連鎖を断ち切らねばならないとの指摘は、歴史的名スピーチとして語り継がれることでしょう。

これを他人事ではなく、個人としての私たち自身が真摯に受け止めねばならないというのがことの本質であると思います。

ユダヤ人のなかでもアシュケナージ(白人系)とセファラディー(セム系)の確執が最終段階にきているというのも単純化され過ぎの感を否めません。

アシュケナージはロシアにおけるポグロムとナチスによる迫害により東欧諸国を追われ、心の祖国であるイスラエルに移住したわけですが、昨今、セファラディーがセム系であることに対してアシュケナージが白人系であるため、民族の出自としての正統性に疑義が提出されてます。
民族性、宗教性(改宗を余儀なくされた歴史)の両面おいての疑義による二重の苦しみを負わされることになってしまっています。

ディアスポラの民であるユダヤ人としてのアイデンティティーが迫害を受けた根拠とイスラエルの地に帰還できたという根拠の両面が嘘であり、騙されて続けてきたことになりかねないわけです。

アシュケナージとセファラディーの確執の決着ではなく、相互理解による融和でなくてはなりません。

イスラエルのユダヤ人どうしにおいても寛容の精神が喚起され、ひいてはパレスチナとの共存共栄が一日も早く達成されることをと願ってやみません。

「コッポラファミリー」がシシリアンかどうかはわかりませんが、そういう仮定のもとの一例として、ロバート・デニーロ(決して彼をシシリアンと断定しているわけではなく、あくまでもそうかもしれないと仮定してのことです。)が他人事ではなく、自身のこととしてメリル・ストリープのスピーチを受け止め、現在もなお虐殺、迫害が続いているパレスチナ、シリアに思いを馳せる人たちが他にもたくさんいるはずです。

日本の自衛隊が丸腰同然で南スーダンに派遣されました。
自衛隊員のご家族の心中は察するに余りあります。

世界規模の経済的混乱が間近であることは多くの識者が指摘しており、第三次世界大戦に日本も巻き込まれる危険性が日増しに高まりつつあります。

70年以上前、日本人も難民でした。
島国から逃げることもできず、アメリカの属領のままでいるわけです。

メリル・ストリープのスピーチを単なるトランプ、マスコミ批判にとどめておかず、私たち自身の問題として受け止めるべき時期になってしまっていることを肝に銘じるべきだと思います。