2012年10月30日火曜日

ものづくりの現場から⑮


この「ものづくりの現場から」を書き始めた当初、日本のメーカーが中国、韓国のメーカーと比較して圧倒的にスピード感で後れをとっている話をしました。
韓国ではプロジェクトのリーダーに全責任を負わせて失敗したらクビにすることを述べましたが、この手法はまず日本人にはなじまないと思っています。

日本人は会議が大好きであたかも誰も責任を負わないように話し合っているようだとのべましたが、実は昔から日本人は責任をあいまいにするのが流儀です。
しかし高度経済成長の時代は活力にあふれ今の韓国中国のようにスピード感をもってやってきたのです。

日本の終身雇用制度は過去のものとなってしまいましたが、会社は欧米のように株主のものではなく、社員のものという考え方が今でも一般的だと思います。
つまり、会社というものは家族あるいは仲間なのだという考え方です。
よって会社もムラを形成します。

会社における会議においても進行役のリーダーはプロジェクトの上に立つものではなく、他の人たちと同じ目線になり、車座になって「ご同輩いかがなものか」といって進めていくのは、今も昔もかわりません。
そして秘密なり悩みなりを共有するのと同じように責任も皆で共有するのです。

それではなぜスピード感を失ってしまったのでしょう。
これもやはり、目的なり共有できる価値観なりを見失っているのだと思います。

ムラのオキテの論理が優先すると既得権益の保護へと向かいます。
これが新しいものへのチャレンジ精神を失わせ、現状維持できればよいという思考停止状態に陥ります。

右肩上がりの成長の時代はもう終わったのだと平然とのたまう人がいますが、欧米に追い付け追い越せという目標なり目的があったからこそ成長があったのです。

今目的とすべきは発展途上国がマーケットへと成長することに貢献することです。
これがひいては自分たちの利益につながるばかりではなく、発展途上国の貧困を克服し世界平和への道を開き、信頼と尊敬に値する日本人の誇りを取り戻せるのだと思います。

日本人はある時期を境として、まるで別人になってしまったのかと思えるほど変貌をとげる歴史を繰り返してきました。

下剋上を経て戦国時代を勝ち抜き日本を統一した、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三豪傑しかり、明治維新の後バルチック艦隊を撃破した東郷平八郎、旅順陥落の乃木希助典しかり、先の大戦後、高度経済成長を支えた多くの企業戦士たちしかりです。

これらの時代の人たちは、その直前までの閉塞状態を打破し、夢と希望にあふれ活力をみなぎらせていたのです。それは新たに皆で共有できるようになった価値観により、目的を見失うことなく邁進できたからです。

私は過渡期という言葉を使って、この英傑たちを輩出する直前の出口を見失った閉塞状態を、この国が病んでいる時期と表現しました。
今まさに過渡期なのだと思います。

既得権益を守ることばかりに固執し、内側にしか視線がいっていません。
その視線を外側に向け、そして視野を世界へ、とりわけ貧困や病魔に苦しむ発展途上国の人たちへ広げていくべきときだと思います。

私たちは固定観念、既成概念にとらわれず、忘れていたのではないかと思われる共有できる価値観を取り戻すべきだと思います。
そのキーワードは「自然」だと思います。

ものづくりの現場のはしくれである私の夢のひとつは、自然エネルギーの技術を発展途上国の人たちにもつかってもらえればと思っています。

日本人皆が誇りを取り戻し、子供たちが夢と希望を持つことのできる環境を整える責任を皆で一緒に持ててこそ、子供たちを幸せにする義務をはたせるのだと思います。

これはそのまま、今の私たち身近のコミュニティーにも、同様に言えることなのではないのでしょうか。

今の日本国憲法第4条で天皇の国事行為というものが規定されています。
天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。
とあります。

国事行為とは、内閣総理大臣、最高裁判所長官の任命や国会の召集、衆議院解散等のことです。
これらを内閣の「助言」と「承認」により、天皇の認証式の手続きを踏むとされています。
これはいったいどういう意味をもつのでしょうか。

日本の歴史においては、天皇の権威を利用した輔弼の権限をもった将軍、関白や先の大戦では軍部が事実上の権利を行使し、民衆を統治してきたことは以前述べました。
輔弼の権限とは天皇に対し「助言」をし、天皇の「承認」に対し責任をもつこととされています。

今の憲法の天皇による国事行為もこの輔弼の権限を踏襲しているようです。
議院内閣制により手続き上国民に選ばれたはずの総理大臣を天皇の認証式の手続きをもう一度踏まなければならないとされています。

この認証式には学説上いろいろ異論があります。
天皇に不測の事態が発生した場合は委任できると規定されてはいますが、天皇ご本人の意思により「承認」を「拒否」された場合の規定は明記されていません。

つまり、内閣が「助言」したことは天皇が「承認」することは当たり前ということが前提となっています。
これは輔弼の権限を利用した装置であり、これにより先の大戦では軍部が暴走した要因であることは歴史が証明するところです。

学説上、認証式は形式的、儀礼的なものであり、民主主義の観点からは無意味なのものと説明されてもいます。
本当に無意味なものなのでしょうか。

今の憲法では天皇は日本国民統合の象徴とされ、戦後のアメリカGHQの草案をもとに、このようなあいまいな表現を盛り込まざるを得なかったことは以前述べました。
天皇による国事行為はこのあいまいな象徴天皇制の具体的事例なのだと思います。

日本の歴史において繰り返されてきたことで、輔弼の権限を有する者が事実上天皇をさしおいて民衆を支配してきたわけですが、この輔弼の権限を有するものに不安定要素が大きくなると日本という国は病気を発症するように思えます。

現在においては、輔弼の権限は内閣にあるようにみえますが本当にそうなのでしょうか。

内閣総理大臣の認証式は、たまにテレビでも放映されるので、ご存じの方も多いと思いますが、認証を受ける際、天皇陛下におしりを向けてはいけないので蟹歩きのような一見滑稽な場面を目にされたことがあると思います。

これは言ってみればりっぱな作法であり、この作法を官僚が一国の内閣総理大臣に指導するわけです。
官僚がときの政府に対してさえ優位性を誇示する機会なのでしょうか。
私はこの作法の指導により、官僚の官僚たる「お上」としての存在意義の根源がここにあると思っています。

日本という国が民主主義を標榜している以上、内閣に輔弼の権限が存在すること自体矛盾することなり、国の根幹である憲法そのものがダブルスタンダードであることになってしまいます。
仮に輔弼の権限がまだ存在するとすれば、それはどうも内閣ではなく、天皇と内閣の間にいる官僚にあるようです。

日本の統治機構も欧米の民主主義に倣って、司法、行政、立法の三権分立を取り入れています。
どうもこの三権分立の上に官僚が居座っているようです。

先日、前福島県知事の佐藤栄佐久氏の収賄容疑に対して最高裁判所は上告棄却の判決をくだしました。
その内容は収賄の事実は認定できないものの有罪にするという奇妙奇天烈なものとなっています。

佐藤栄佐久前福島県知事は反原発で、霞が関の官僚と東京電力を敵にまわしたためスケープゴートにされたのであろうと取りざたされています。
スケープゴート云々はさておき、司法の場における「疑わしきは罰せず」という大原則を逸脱しているのは確かなようです。

佐藤栄佐久前福島県知事が逮捕されたのは2006年です。
去年の原発事故以前です。
福島原発の隠蔽体質を告発して訴え続けた挙句、身の覚えのない容疑で逮捕されたのだそうです。

原発事故の危険性を予知し、警鐘を発していた人が、原発事故後の今になっても冤罪の可能性があるのです。
担当の裁判官は皆官僚出身者で当時の原発推進派の自民党の首相から任命されている人ばかりのようです。

うがった見方をしてはいけませんが、素朴に疑問に思わざるをえません。

天皇皇后両陛下が被災地を訪れ、被災された人たちを慰めてお歩きになる姿を霞が関の官僚たちはどういう気持ちでみているのでしょうか。

福島原発事故が人災であったことは、もはや論を俟たないと思います。
事故以前よりその危険性に対して警鐘を鳴らしていた佐藤栄佐久前福島県知事の名誉を回復するどころか、追い打ちをかけるかのごとき判決をくだすその神経たるや異常に思えてきます。

消極的核の傘による抑止力論で、原発を推進することにより、いつでも核兵器を持つことができるということを歴代首相の申し送り事項にしているであろう(キッシンジャーの指摘)ことは以前述べましたが、今日本政府はこの原発技術の輸出を国策化しようとしています。

ヴェトナムに原発を輸出するのだそうです。
今度はヴェトナムにいつでも核兵器を持てるのだぞと言わせて、中国を牽制できるとでも思っているのでしょうか。

脱原発どころか、世界へ核の拡散を画策しようとしていると言っても過言ではないと思います。
原子力エネルギーから自然エネルギーへの転換は日本国民の総意となりつつあるはずです。

それと全く逆行するかの如く原発輸出を国策化しようとする官僚の行動様式は悪魔のささやきのようなもので、政権が自民党から民主党、民主党からどこそこへ移ろうと官僚の悪魔のささやきに抵抗できそうな政党はどうも見当たりません。

日本の国策として輸出すべきは原発ではなくて、自然エネルギーの技術であるべきです。

尖閣や竹島等で領土問題がクローズアップされています。
日本の核武装論に弾みをつけさせかねないことで、日本人の付和雷同しやすい気質として、ある時期を境に180度価値観を転換させかねない大問題に発展する可能性をはらんでいます。

悪魔のささやきにより内閣が核武装を「助言」したら、天皇は「承認」されるのでしょうか「拒否」なさるのでしょうか。

今の日本国憲法において民主主義を貫くのであれば、天皇の国事行為は学者さんたちが言うとおり無意味なのでしょうから整合性を確保するためには、この条文は削除されるべきなのでしょう。

しかしもしそうするのだとしても、日本という国の伝統、文化の象徴でもある天皇の権威は何らかのかたちで担保されなければならないと思います。

そのためには、天皇陛下の名において被災地である東北へ遷都されるのが一番だと思います。

日本という国は世界平和と核廃絶を国是とすべしとおっしゃっていたのは、今は亡き後藤田正晴元官房長官です。

後藤田元官房長官は警察官僚のトップから内閣の要として、政府の中枢に長年いらっしゃったかたです。この人の言葉はたいへん重いと私は思っています。
霞が関において魑魅魍魎が跋扈しはじめ、この国の将来をそのころから危ぶまれていたのだろうと思います。

世界平和と核廃絶を国是とし、日本国憲法を見直すべき時期なのではないでしょうか。
天皇が世界平和と核廃絶を祈念する日本国民総意の象徴として、被災地である東北に遷都なされば、この一大事業そのものが世界中で未来永劫語り継がれ、天皇の権威は不滅のものになると思います。

遷都されるにあたっては、被災地で亡くなられた方たちはもちろんのこと、先の大戦で枢軸国だけではなく、敵方であった連合国の戦死者の方たちの慰霊鎮魂をも司れるのは天皇陛下をおいてほかにはいらっしゃらないと思います。

変革期というものは、数多の血が流されてきた時期でもあります。
ハードランディングよりもソフトランディングを希望するのは誰でも同じです。

日本の歴史上、勝海舟と西郷隆盛による江戸城無血開城は奇跡の一つのように言われていますが、実際は戊辰戦争という内戦の一コマであり、多くの流血がありました。
この後も旧武士階級の不満は収まるどころか膨れ上がってゆき、西南の役において西郷隆盛自らが旧武士階級の不平不満を一身に浴びて壮絶なる死をもって納めたことが歴史の教えるところです。

戊辰戦争において、明治新政府から朝敵とされた会津藩は今のフクシマと全く同じ立場に見えてきます。
明治維新という革命期において会津藩は犠牲となり、見捨てられたのです。
白虎隊の悲劇的最期が今でもそれを物語っています。

靖国神社では、これらの内戦で朝敵とされた戦死者は、西郷隆盛をはじめ白虎隊の英霊も祀られていません。
天皇陛下にはこれらの人たちも慰霊鎮魂していただきたく思います。

フクシマで原発事故が発生したのは、歴史のいたずらとしたらあまりにもできすぎているように思います。

いまの官僚たちも大久保利通が作り上げた官僚制のままです。
今回の大震災は、会津藩を筆頭とする東北諸藩の怨霊により引き起こされたのではないかと思えるほどです。
まるで、この次は東京都心直撃だぞと言わんばかりのように思えてきます。

霞が関の官僚と東京電力を真っ向敵に回し、反原発を訴え今は犯罪者のレッテルを貼られている佐藤栄佐久前福島県知事の血には、白虎隊の歴史的DNAが流れていらっしゃるのではないかと思います。

マスコミの人たちが国家権力に屈しないペンという力をもっているならば、佐藤栄佐久前フクシマ県知事の冤罪の可能性を徹底的に糾明すべきと思います。

今日本は過渡期という病気を発症している時期だと思います。
これは国民が現政権に対して、本当に自分たちを守ってくれるつもりがあるのかどうか不信感をつのらせている症状です。

過渡期を脱するためには、それなりの変革が必要です。
この変革のためには、それ相応の犠牲を出さねばならないのかもしれません。
明治維新、先の大戦を経ての変革いずれにしても多大なる犠牲のもとに変革はとげられました。

平和ボケしている今日どのような犠牲を出せば変革はできるのでしょうか。
犠牲はもうすでに出ているではないですか。
東北大震災による原発事故は単なる想定外の天災によるものではなく、人災によるものです。
放射線による内部被爆は想定外などと言っていられる状況ではなくなっているはずです。

この教訓を糧にせずして変革できないようでは、この国は本当に核武装し警察国家から軍事国家への道をまっしぐらとなってしまいます。
自由などという言葉は本当に無意味になってしまいます。












2012年10月23日火曜日

ものづくりの現場から⑭

運動会の話にまたもどりますが、今中学2年の息子が小学4年(このころ原小と伊藤中が一緒になって伊藤学園ができました。)のときから見に行っています。
最初驚かわれたことは、お弁当が一緒に食べられないこともそうですが、子供たちがいるところと親たちがいるところをロープを張り巡らせて区分けして互いの行き来を禁止しているのです。

最近では見慣れてしまっている自分自身、子供たちと一緒にすっかり親も学校に飼いならされてしまっているように思えてきます。

秩序を重んじることはよくわかりますが、ここでもコミュニケーションの分断が見てとれます。
秩序を維持するための装置が張り巡らせたロープということなのでしょうか。
パトロールのタスキをつけたお母さんたちがまたおまわりさんに見えてきます。

コミュニティーにおいてそのハブとなるものが学校のほかにお祭りがあるということを述べましたが、学校とお祭りではその内容がだいぶ違います。

学校は規則、規律によって秩序を維持管理し子供たちに遵法精神を学ばせます。
反面、お祭りは混沌とした猥雑さのなかで、子供たちは自然に危険を察知する能力を養います。
両者はコミュニティーのハブとして互いに補完関係にあるべきだと思います。

大津におけるいじめによる自殺では、教育の現場に警察が家宅捜査に入るという前代未聞の事件に発展しました。

学校の自治というものはたいへん重んじられていて、このようなケースで司直の手が入ったことはありませんでした。
学校法人の理事長が学校の金を私的に横領したようなケースとはわけが違います。

いじめにおいては往々に、いじめられた子が被害者で、いじめた子が加害者であるととらえられがちです。
本当にそうなのでしょうか。

子供は子供です。子供はいじめている、あるいはいじめられているということを認識できる能力を十分に養われていない場合が大多数なのではないでしょうか。

子供にとっての危険を察知する能力には二通りあると思います。
一つ目は悪ふざけの度が過ぎて、相手の子が精神的にも、物理的にも危険な状態になっているということを察知する能力です。

二つ目は相手からの悪ふざけの度合いが遊びではなくなってしまい、自分自身が物理的にも、精神的にも危険な状態になっていることを察知する能力です。

いじめているとされる側の子供を加害者と断定することは、将来その子が犯罪者になりえると断定することに等しいと思います。

危険を察知する能力が十分でない子供を犯罪者扱いすることは、問題の本質に目をそむけ責任を回避する大人の言い訳にしか聞こえてきません。

加害者は、危険を察知する能力が十分ではない、いじめられている子供でも、いじめているこどもでもなく、危険を察知する能力を十分に養い得ていない周りの環境そのものなのではないでしょうか。
あえて言えば、いじめている側の子供も、いじめられている側の子供も双方が被害者なのではないでしょうか。

品川区教育委員会が今年の7月作成した「いじめ防止に関する手引書」に目を通して私は愕然とさせられました。
このなかではっきりと悪ふざけの度が過ぎたいじめは「人権侵害行為」であると書かれています。

つまり、いじめをした子は犯罪者であると決めつけ、警察との連携も明記されているのです。
品川区の教育委員会はあたかも少年法(未成年は成人同様の刑事処分を下すのではなく、原則として保護更生のための処置を下す。)の概念を放棄したかのようです。

人権問題というものは一般的には権力者からの弱者救済擁護を言います。
国際連合と協議資格を持つ人権擁護団体のアムネスティー・インターナショナルは死刑廃止、難民救済、戦争捕虜の虐待からの救済を支援する機関です。

権力者である教育委員会がいじめているとされる側の子を「人権侵害行為」を犯していると決めつけるとはどういうことなのでしょうか。

子供は弱者の最たるものです。子供を守るべき側のものが「人権」という言葉を持ち出して、子供を犯罪者扱いしようとしているとしたら、それこそ人権蹂躙ではないでしょうか。

学校が警察国家化しているとしたら、親にしてみれば子供を人質にとられているようなものです。
学校というムラのオキテにより、子供の成績なり評価に恣意的なものが加えられるているのではないかと思うだけでそら恐ろしいものがあります。

「人権」とは人が生まれながらにして持つ基本的な権利であり「民主主義」という思想の根幹をなす原理であることは言うまでもありません。

日本の「民主主義は」残念ながら欧米のように自ら命がけで手にしたものではありませんでした。
結果的に先の大戦後アメリカの原文をもとに今の憲法に明記されていいるわけですが、「民主主義」を勝ち取るために数多の血が流されたわけではなく、皆天皇のために死んでいったのです。

学校というものは「民主主義」を子供たちに教えてくれる場所だとばかり思っていましたが、どうもそうではないようです。

教育委員会は文科省傘下の官僚機構そのものです。
つまり国家権力そのものです。
権力者が弱者の最たるものである子供を犯罪者扱いしたら子供はどこに逃げたらよいのでしょうか。
親はどうやって子供を守ったらよいのでしょうか。

官僚機構はまだ一般大衆にとっては「お上(カミ)」そのもののままのようです。
「お上は」は「由らしむべし、知らしむべからず」で民衆を支配してきました。
つまり、情報を独占し民衆に対しそれを開示することなく、上から目線で我々をコントロールしようとしているわけです。

役人が「お上」意識をもったままでいることは、いじめている側の子供を「人権」という言葉を使って犯罪者の烙印を押そうとしていることに如実に顕われていると思います。

「人権」という言葉を軽々しく自分たちの責任逃れのために使っているとしたら、「民主主義」を語る資格はないと思います。

日本という国がまだ官僚統制国家を抜け出せていない所以です。

伊藤学園の運動会で子供のいる場と大人のいる場をロープで区分けしている話をしましたが、このロープが秩序を維持管理するための装置であるのなら良いですが、子供たち(親も含めてでしょうか。)を飼いならす道具にしているとしたら、本末転倒です。

親は動物園のパンダやキリンを観に行っているわけではありません。
なぜ子供たちのそばに近寄るのを禁ずるのでしょうか。
こどもからも見えるところまで近づいて「ガンバレー」と声援を送ってはなぜいけないのでしょうか。
子供は親の声援を目と耳に焼き付けて、記憶に刻み一生の思い出とするのです。

本来、運動会や親の参観日(伊藤学園では学校公開とよんでいるようです。)等は、学校内における教育はもちろんのこと、学校の自治が健全に行われているかどうか、親たちが検証する場でもあるはずです。

運動会のロープやPTAのお母さんたちのパトロールのタスキが、学校に対する親たちの検証を阻むものであったとしたら、親たちはどう対処すればよいのでしょう。

私は駅のそばの居酒屋に食事がてら子供たちを連れてよく飲みにいくのですが、あるとき先生たちの飲み会と遭遇しました。

子供たちも先生たちも居合わせているのを気が付いているのに、言葉をかけあうことがありません。私があいさつすると何かシラケた雰囲気になってしまい、その後その先生たちをその店でみかけることはなくなってしまいました。

私は小学生たちとバスケットをやっているので、その子たちが中学生になると伊藤学園のバスケット部に入る子が多いのです。

顧問の先生とコミュニケーションをとったほうが良いと思ったことがあったので、ある知り合いの区議会議員の先生に、酒でも飲みながら顧問の先生と話をしてみたいのだけどと相談したところ、そんなこと学校が許すわけがないでしょうと簡単に言われてしまいました。

特定の先生と親が癒着することを禁じているのでしょうか。
いまだにどうしてなのかよくわかりません。

居酒屋での子供たちと先生方の気まずい雰囲気にしろ、なぜ親と先生が酒を酌み交わしてはいけないのでしょうか。

どうも学校と保護者の間にも何か距離感を感じてしまいます。
学校での保護者会はよく開かれているようですが、二人目の自殺者が出た直後の緊急保護者会の内容を議事録にとっていた父兄がいたので見せてもらったのですが、違和感を感じてなりません。
その一つがスクールカウンセリング制度であったことは前に述べた通りです。

大津での事件の隠蔽体質がムラのオキテにより既得権益の保護に向かっているというお話をしました。
学校によっては、いじめが発覚すると担当の先生は減給あるいは、退職金に影響するという職務規定を設けているところもあるのだそうです。
給料が減らされるのがいやがために、いじめに目をそむけているようなことがあるとしたら、それこそ恐ろしいことです。

伊藤学園が、ムラのオキテのようなもので、親には知られたくはない秘密を共有していると勘ぐりたくはありませんが、少なくとも大津のような司直の手がはいるようなことがあってはなりません。
つまり、いじめているとされる子を加害者と断定するような事態になってはならないと思います。

子供たちの危険はどうやら身近に潜んでいるようだとお話しましたが、それは子供たちが危険を察知する能力を養える環境になっていないその場、その雰囲気そのものが危険を醸成しているようです。

これはとにもかくにも親どうし、子どうし、親子どうし、なおかつ学校の先生と親たちとのコミュニケーションが希薄になっていることにつきると思います。

つまり子共たちを協同して守る責任のあるコミュニティーそのものが、コミュニケーションが分断されているため機能不全に陥っていて、コミュニティーそれ自体が子供たちを危険な状態にさらしてしまっていることを意味するのではないでしょうか。

コミュニケーションは形式的なうわべだけのものでは意味がありません。
同じ目線になって、それこそ車座になって話し合うことです。
パトロールのタスキは権威、権力をかさにきた上から目線で見下しているように見えてなりません。

見下されて本音を話す人はまずいないと思います。
かといってへりくだって下から目線になることもどうかと思います。
同じ立ち位置で同じ目線で語り合うことが大事です。それの良い例が井戸端会議というものでした。

今井戸端会議ができる場といったら、マクドナルド、ファミレスか居酒屋といったところでしょうか。前にも話しましたが、インターネットのSNSを駆使するのはよいと思います。
FacebookもTwitterもアメリカから持ち込まれたものですが、日本人のコミュニティーにあったもうひとひねりがほしいところです。

実名が基本でも、匿名で投稿できること、無記名でアンケートをとれること、そしてそれらを皆が自由に閲覧できることこれらは必須だと思います。
特定の学校、学年に限定せず、なるべく広い年齢相とくに高齢者の意見を取り入れる工夫が必要だと思います。

コミュニティーの崩壊のひとつして高齢者の孤独死の問題を忘れてはいけません。
核家族化が進み、身寄りのないお年寄りの話を聞くことは、お年寄り個人にとってもコミュニティーにとっても必ず役に立つと思います。

遠隔医療システムがだいぶ進歩してきているようです。
遠隔診療もインターネットを使ったシステムです。
お年寄りは携帯端末、ましてやスマホなどとは縁遠いものですが、TVとインターネットの融合が進み、お年寄りも両方向通信に参加できる環境が整ってきました。

遠隔診療システムや「元気にしてますか」(安否確認)システムなど、身寄りのないお年寄りのセーフティーネットとして今後普及が進むはずです。
これらもコミュニティーのSNSに組み入れるべきです。

おじいちゃん、おばあちゃんの声を反映させることは、お年寄りご本人の生きがいにもなっていきますし、おじいちゃんは「地震、雷、火事、おやじ」だったのですし、おばあちゃんの知恵は若いお母さんのお手本になることでしょう。

子供もお年寄りと接する機会が増えればそれだけ危険を察知する能力を養えることになると思います。
なぜならば年寄は子供に体罰を与えるにしても手加減の仕方を知りすぎているからです。


2012年10月20日土曜日

ものづくりの現場から⑬

品川区の小中一貫高が画期的な試みであることは言うまでもありません。
しかし、箱もの行政とはよく言われることですが、ハード面に対してまだソフト面が追い付いていないようです。

新しい試みゆえ多分に実験的な面があるのは当然で、適宜修正してゆくことが肝心だと思います。

現場の先生がたも戸惑いながらご苦労なさっていることはよく耳にします。
この品川区の試みが全国に向けて誇れるものになれば、自然とコミュニティーは充実してゆくことでしょう。

伊藤学園での今年二人目の自殺者はマスコミにも取り上げられているのでご存じな方が多いと思います。
直後の緊急保護者会において気になった点が一つあります。
スクールカウンセラーという制度がどうもあるようです。

カウンセリングという手法は欧米のものをお手本にしているのだと思いますが、あまりなじまないのではと思います。

欧米のコミュニティーはキリスト教の教会がハブ(中核)となっています。
欧米の人たちは自分が過ちを犯し、自責の念にかられると教会へゆき懺悔します。
つまり、自我、自己の確立を怠ったことを告白し、神に赦しを乞い、神の罰をうけることから解放されるのです。

これを一般化したものがカウンセリングだと思います。
カウンセラーは悩みを持った人の話を聞きながら、神は赦してくれると説くわけです。

日本のカウンセラーは往々にして単なる相談員にすぎません。
悩みを相談するひとにとっては、自分が赦されるかあるいはその悩みから解放される根拠を相談員から見出すことはまれだと思います。

欧米は神に赦しを乞えば罰を受けることがありません。なにせキリストは何でも赦してくれるのですから。

日本人にとっての罰は村八分です。
この罰は死よりも恐ろしい罰だったのです。
先の大戦の最前線での兵士たちは、生きて帰って「天皇のために死ねなかった。」という生き恥をさらし村八分になるよりも、死を選んだのです。

村(ムラ)の長(オサ)はムラの掟(オキテ)により、罰をくだしたわけですが、このオサとは欧米のリーダーとはだいぶ異質です。

日本人の気質としてよくいわれることですが、日本人のリーダーは仲間の上に立つのではなく、仲間と同等の立場が前提です。
ムラの会議は車座になって、オサにより「ご同輩いかがのものか」と言って進められます。

ムラとは同等、同質の集団です。
一人の悩みはみんなの悩みとして共有されるのです。
「悩み」とは「秘密」と置き換えてもよいと思います。

オキテとはそのムラにのみ通用する決め事、つまりムラの既得権益保護がその目的になるため、えてして一般的な常識(法律といってよいと思います。)とかけ離れたものになる恐れがあります。
これが日本人がダブルスタンダードになりやすい所以と言われています。

個人の相談員が悩みをもった人を救うことはなかなか難しいことのようです。
では悩みを持った人はどこに救いを求めればよいのでしょうか。

やはり、日常身近に接するひとが話を聞いてあげられる環境が整っているかどうかにつきると思います。
それこそ仲間が車座になって語り合う場が必要です。
決して上から目線ではなく、一緒になって悩みを共有してあげることが大事だと思います。

そして一番難しいケースが自分はなにも間違ってはいないのに周りが認めてくれないと悩んでいる場合です。
今はこのケースのほうが多いのではないでしょうか。

このケースは本人の価値観が周りに受け入れてもらえないと悩んでいるわけです。
本人が生まれ育ってきた環境の掟なり規範と周りがそぐわないと思ってしまっているのでしょうか。

前にも述べましたが、日本人の宗教観というものは案外いい加減なものではあるけれど、他者との違いを尊重できる寛大さがあります。

悩みを抱えている子でも親でも何かしらサインを発信しているはずです。
周りの子共たちも親たちもそれを察知してあげたら、気軽に声をかけてあげなければいけません。そのためにはコミュニティとしての親どうし、子どうし、親子どうしの連携が大事になってきます。

そして、本人の本音を聞いてあげ、自分の考え方と違っていたとしても「そういう考え方もあっていいんじゃないの」と受け入れてあげることが大事だと思います。

伊藤学園で二人目の自殺者がでたわけですが、一人目と二人目の間に大津のいじめによる自殺がマスコミに取り上げられています。

学校と教育委員会も一つのムラを形成しているようです。
大津では最初いじめを否定していたわけですが、次々と事実が明るみに出ていじめを認めざるをえなくなりました。

教育委員会の委員長はさしずめムラのオサというところでしょうか。
隠蔽体質というのはムラのオキテ、つまり自分たちの既得権益保護が優先されているということでしょう。

伊藤学園の二人目の自殺者は大津の教訓からでしょうか、いち早く自殺の原因がいじめであることを認めています。
一人目の自殺者はご遺族の意向もあり事故として処理されたので、いじめはなかったことになっていましたが、やはりいじめがあったのではないかという声が上がりだしているようです。

学校内にあるスクールカウンセラーの相談員が学校というムラのオキテを優先してしまっていたとしたら何をかいわんやということになってしまいます。

前にも述べましたが、大人たちは子供たちを幸せにする義務があり、そのためには子供たちが夢と希望を持てる環境を整えることに責任をもたなければいけないわけです。

子供たちの危険はどうも身近に潜んでいるようです。
子供たちが危険を察知する能力を養わなければならない所以です。

そのためにはもっと外に目を向かせ視野を広げてあげなければなりません。
大人は子供の「素朴な疑問」に耳を傾ける努力を怠ってはいけません。
子は親の鏡とはよくいったもので、大人は固定観念、既成概念にとらわれず、いっしょに子供と考えなければいけません。
上から目線ではなく、同じ視線にたって話をするのです。

私は子供たちを守る対策の一つとして「目安箱」を設置するのはよいと思っています。
しかし、それは学校に帰属するものではあまり意味がありません。

インターネットのソーシャルネットワーキングサービス(SNS)は最近とても充実してきて私もFacebook、Twitter等を利用しています。

このようなものを目安箱として、学校ではなくコミュニティーとして立ち上げたらよいと思います。
それも複数の学校の生徒と親たちが連携できるものでなければいけませんし、皆が自由に閲覧できることが肝心です。

あまりよい例ではありませんが、政治家、官僚の汚職や大企業の不正は後をたちませんが、これらはムラのオキテにより、既得権益を保護するために法律違反を厭わず行われています。
たいてい個人の内部告発により発覚します。
告発者は一般的には正しいことをしたのに村八分にあい追放されるのです。

Facebookは実名で投稿するのが基本ですが、コミュニティーとしてのSNSは匿名での投稿や無記名アンケートの方式を取り入れたほうがよいでしょう。
内部告発というものは大変な勇気が必要です。オキテに背けば村八分にあってしまうわけですから。
しかしコミュニティーが一丸となってやれば心強く、不正をただせるはずです。

2012年10月17日水曜日

ものづくりの現場から⑫

差別、いじめの問題は、互いに本音で語り合う場、話を聞いてもらえる場を見失っていることにあると思います。
特に都会においてはコミュニティーの崩壊はよく言われていることです。

私が住んでいる品川区西大井は、ちょっと路地に入れば下町の風情を残すところですが、都市開発も進み、新住民と旧住民との間でさえも壁が見られます。

マンション住まいのひとは表札も出さず、プライバシーを尊重するあまり隣の人が何をしているのかさえわからなかったりします。

コミュニティーとは、同じ地域に住む人たちで形成された共同社会とでもいう意味でしょうか。
コミュニティーでは、公共の施設がハブ(中核)となります。具体的には小中学校、児童センター、公民館等です。

私の息子(中学2年)が通う伊藤学園で今年二度目となる生徒の自殺がありました。二人とも中学1年生です。
私はここで犯人捜しをする気はありません。ただ同じ学校の同じ学年でこの短期間に二人が自殺したことに素朴な疑問を持っているのです。

品川区は他県に先がけて小中一貫高という制度を取り入れています。伊藤学園はそのモデル高です。

これは小学校と中学校を一緒にして、6,3制ではなく、小学年団、中学年団、高学年団と呼ぶのだそうですが4,3,2制にしています。
なぜ9制ではないのでしょう。

全国の公立小中学校は築30年以上のものが多く、耐震基準に合わせるため建て替え、改修ラッシュになっています。

品川区の小中学校は土地が狭いので、延床面積を増やすために縦に長くしています。
つまり、小学校と中学校を一緒にして地上4階建てであった校舎を地下3階地上6階にして、延床面積を確保しているわけです。

品川区はいち早くこの方式を取り入れ、土地を有効利用した校舎を建てています。
伊藤学園はそのモデル高としてりっぱな校舎なわけです。

私は毎年息子の運動会を見に行きますが、いつも不可解に思えることがあります。
延床面積は確保できているとはいえ、グラウンドが狭いからなのでしょうか、
昼食を子供たちと親が一緒にとらせてもらえません。

伊藤学園から歩いて10分ほどのところに大井第一小学校と山中小学校があります。
この両校は中学は伊藤学園に進学する子が多いのですが、今でも運動会は親子で昼食をとっています。

やはり小中一貫高のモデル校である八潮学園は中学生は別ですが小学生は親子一緒にお弁当を広げられるそうです。

私たちが子供のころの思い出といえば、運動会でゴザでも敷きながら親子一緒にお弁当を食べることでした。
誰それの家の弁当のおかずはなんだったとか、あいつんちのかぁちゃんは化粧が濃かったなどとワイワイやって、思い出を記憶に刻んできたわけです。

なぜこんなに大事な時間が無くなっているのでしょう。

私は週末子供たちとバスケットボールをしているので、息子に学校に行ったら一つ上の先輩や下の後輩に伝言を頼むことがあるのですが、あまり伝わったためしがありません。
息子になんで伝えてくれないんだと文句を言うと、伝えるタイミングがないのだそうです。

他校の父兄に聞いてみたところ、伊藤学園は授業と授業の間の休み時間が他校と比べて5分長いのだそうです。
その分お昼の休み時間は短くなり、40分遊べるところ20分しか遊べないのです。
したがってわざわざ外のグラウンドに出て遊ぶ時間が少ないのです。

授業間の休み時間は休憩と次の授業の準備のため階段を上り下りしている暇はなく、お昼休みは外のグラウンドに出て遊ぶ子が比較的少ないのですから、学年の違う者どうしが顔を合わせる機会が少ないのも当然だったようです。

運動会のお弁当の件にしろ、昼休みの時間が短くそとのグラウンドで遊ぶことが少なくなっていることにしろ、なにやら大事なコミュニケーションの場を失っているように見えてきます。

毎年のキャンプや部活動等で、違う学年どうしの縦の関係の充実を図ってくださっているようですが、どうも一面的で全面的ではないように見えてきます。

普段日常的にまた特定の関係だけではなく、広くコミュニケーションできる場が分断されてはいないでしょうか。

コミュニティーにおいて、公共施設である小中学校はハブとなっているわけですが、そのハブであるはずのものが、コミュニケーションを分断しているとしたらことは重大です。

私たちが子供のころは、友達の顔を見たらその子の親の顔がすぐ目に浮かんだものです。
あいつの母ちゃんは優しいけど父ちゃんはすぐ怒鳴り込んでくるからやばいぜってなもんだったわけです。

私は子供たちとバスケットをやっていることもあって、伊藤学園に限らず周辺のいろいろな小中学校の生徒とその親御さんたちと接する機会が比較的多くあります。

バスケットをやっている仲間は学校、学年に関わらず、その子を見れば親の顔が目に浮かぶようになったのですが、運動会を見に伊藤学園に行っても、その子を見て親の顔が目に浮かぶ子は少ないように思えます。

どうも親どうしのコミュニケーションも希薄になっているようです。

コミュニティーの本質は大人たちが子供たちを協同して守ることにあります。
そのためには普段日常的に親どうしが意思の疎通を図れる環境を整えなくてはいけません。

コミュニティーのハブとなるのは、公共施設に限ったことではありません。
子供たちは神社のお祭りが大好きです。

神社のお祭りでは学校では教えてくれないことを子供たちは学んでゆきます。
お祭りは子供たちにとっては非日常的な空間になります。
それも一種猥雑な空間です。

テキヤのおじさんとの軽妙なやりとりや、こわそうなお兄ちゃんとも友達になれないことはないし、じいちゃんばあちゃんの昔話を聞かされて社会性を育んでいきます。

年寄は悪いことをしたらバチがあたることをよく教えてくれるはずです。
その混沌とした猥雑な空間で子供たちは高揚し、えてして喧嘩をし、殴られれば痛いことを覚えてゆくのです。

日本の神社仏閣は木々におおわれた自然のなかに佇んでいます。
品川という都会にしても同じです。緑を求めて散歩すれば、神社仏閣にたどり着くものです。
子供たちは生きとし生けるものとのふれあいのなかで危険を察知する能力を養っていくのです。

コンクリートでできたりっぱな校舎は、どうも無味乾燥なものに見えてきます。
私たちが子供のころの学校は緑が豊富で池やおほらみたいなものもあり、謎めいた部分も合わせ持っていたものです。

子供というものは未知なるものに対して好奇心に満ち溢れ、冒険心を奮いおこし、危険を察知できるようになっていくのだと思います。

この神社のお祭りでも運動会と同じに不思議な光景を目にします。
PTAのお母さんたちが、パトロール中というタスキをかけて本当にパトロールしているのです。
これは運動会でも行われています。

パトロールとは警察行為そのものなわけですが、いつからお母さんたちはおまわりさんになってしまったのでしょうか。
警察の権力をかさに上から目線で子供たちを取り締まっている気になっているように見えます。

パトロールするということは、お祭りを危険な場所ととらえ、立ち入りを規制しているということなのでしょうか。

確かにお祭りは子供たちのとってある意味危険な空間なのかもしれません。
お祭りは家族の安全や秋の実りが豊かであることを祈念する神聖な場である反面、老若男女が入り乱れ独特な昂揚感に浸りながら、その混沌とした猥雑さのなかで危険を察知する能力を育む場でもあります。

お母さんたちが子供たちを見守りたいのであれば、なにもあんなピカピカ光るパトロールのタスキではなくPTAとだけ書いておけばよいではないですか。
どうも違和感を覚えてなりません。

子供たちが大好きな神社のお祭りに行くこと自体を規制しているのだとしたら、これも大事なコミュニケーションの場を分断していることになってしまいます。

伊藤学園の運動会の話にもどりますが、ここでもパトロールのお母さんたちが活躍されています。
プログラムの内容でいつも感心させられるのですが、小学生中学生一緒にやることもあって、人数に対してグラウンドが狭いため、お子さんが出場するタイミングがよくわかるようにプログラムが作られています。

つまり、自分の子供が出場するときだけ見に来てくださいということのようです。
父兄全員が一同に集まってしまうと、交通整理がたいへんなのでしょう。
パトロールのお母さんたちの活躍の見せ所です。

見に来た親たちは自分の子の出番が終わったら一旦帰らなければならない雰囲気にのまれて素直に帰り、次の出番まで自宅や近所で待機し、また見にいきます。
パトロールのタスキの威力たるや恐るべしです。

これは見方を変えれば他の学年の子の出番は見ることができず、ましてやせっかくの違う学年どうしの親たちとのコミュニケーションを阻害してしまっています。
ここでもコミュニケーションの場の分断が見受けられます。

私は子供たちがお祭りに行くことを規制するのではなく、喜んでゆける環境(お母さんはおまわりさんではなく、お母さんであるべきです。)を整え、運動会で交通整理するよりも親どうしが気軽に声をかけあえる環境(小学生だけでも親とお弁当を食べさせてあげたらよいではないですか。)を整えるほうが先だと思っています。

品川区の住民がコミュニケーション能力を欠如しているわけがありません。
コミュニケーションをとる場が分断され、希薄になっているだけだと思います。

2012年10月14日日曜日

ものづくりの現場から⑪

今日本は超高齢化社会へと突き進んでいます。
最近出生率という言葉をよく耳にしますが、これは夫婦二人に対して二人子供をつくれば、全体の人口は維持できるという勘定からきます。
現在の出生率は1.3台です。これは絶望的な数字です。

年金制度破綻はもちろんのこと、放射線による被爆という負の遺産を孫子の代まで負わせてしまった私たち大人はこれからどうすればよいのでしょうか。

私はそろそろ移民、難民の受け入れの窓口を段階的にでも広げていくべきだと思っています。
そもそも日本人が純血であるというのは幻想です。

古来、カラフトを通って北方系民族が、朝鮮半島を通って騎馬民族等が、黒潮に乗りながら南方系民族がこの日本列島にきて混血を繰り返して今の我々があるのです。

わたしの友人でロスさん(日本名、楠木さん)という元カンボジア難民で日本人に帰化した人がいます。

ロスさんのお父さんはカンボジア政府の官僚だったのですが、ポルポトの粛清にあい殺され、ロスさんも命からがら脱出してきた人です。ロスさんはプノンペン大学(日本でいえば東大)出のエリートです。

ロスさんの兄弟はアメリカ、フランスを選んだのですが、ロスさんは一番受け入れられるのが難しい日本をあえて選びました。
カンボジアはもともと親日で、ロスさんも日本が好きだったのが理由なのだそうです。

先日ロスさんと一緒にフクシマを視察に行ってきました。ロスさんは日本とカンボジアの架け橋となるべくがんばっています。

フクシマでこれから始まる自然エネルギーの普及にためのプロジェクトに参加を希望しています。
フクシマで培われた技術を母国にも普及させだいと考えています。

カンボジアは送電線網のインフラはまだ整備されておらず、ソーラーや小水力による発電システムに希望をもっています。
送電線網等のインフラ整備に莫大なコストをかけず、小規模ながら徐々にでも電力供給を増やしていくことに期待しています。

カンボジアには、一説には世界の90%にものぼる対人地雷がいまだに埋めらたままなのだそうです。
対人地雷のなかには爆薬代わりに劣化ウランを使ったものもあり、地雷の除去はもちろんのこと、その放射線による被爆の問題も抱えています。

フクシマへはロスさんの車でいきました。車中ずっと運転席の前のモニターにはカンボジアの歌謡ショーのDVDが流されていました。どこかで聞き覚えのあるメロディーばかりと思っていたら、日本の40,50年前の歌謡曲をカンボジア語にカバーしたものが多いのです。

カンボジアでの外国人の数は10年前までは日本人が一番多かったそうですが、今はベトナム人が一番で二番が中国人、三番目が韓国人、日本人は四番目になってしまったそうです。

日本の製造業は空洞化が進み、生産拠点を人件費の安いところ安いところへとシフトしています。中国からタイ、タイからヴェトナム、ヴェトナムの次はカンボジアになるのかもしれません。
しかしすでに中国、韓国はいち早く拠点を築いています。ここでもすでに出遅れているのに安い人件費だよりでコスト競争に勝てるでしょうか?

カンボジア人は中国、韓国よりも日本にもっと進出してほしがっているそうです。
ロスさんの車中で流れていた曲は「柳が瀬ブルース」「ナガサキは今日も雨だった」等々、

対人地雷の劣化ウランによる放射線の内部被爆の問題を抱えているカンボジアにとって、フクシマひいてはニッポンそのものが、決して他人事ではないのです。

日本は自分たちだけが、唯一の被爆国であるという被害者意識による感傷に浸っている場合ではありません。
対人地雷はもとより、劣化ウラン弾(戦車の砲弾等)による内部被爆は東南アジア、中東、アフリカにおいて現実の問題として発展途上国の人たちを苦しめています。

カンボジアをはじめこれら発展途上国の人たちは、戦争による大きな負の遺産を負っているとはいえ、活力をみなぎらせ、夢と希望に燃えています。

日本は高度成長時代、欧米に追い付き追い越せで、それこそ夢と希望に燃えていました。
少子高齢化の根本的な問題は、若い夫婦が生まれてくる子供たちに夢と希望を与えることに自信が持てないということにあるのだと思います。

大人たちは子供たちを幸福にする義務があります。子供の幸せを願わない親はいないでしょう。
この義務を果たすために親はどのように責任を持てばよいのでしょうか。

西洋のLIBERALからDEMOCRACYに至る思想は、自我、自己の確立から出発することは前に述べました。

それに対し日本はまったく逆ともとれる、無我、無私、無常という思想の流れがあったことも述べました。この思想は自己、自我にとらわれず己を克服すること、つまり「克己」の思想につながります。

日本の高度成長時代は欧米にだけ目が向けられていました。
今は発展途上国にも同じように目を向けるべきだと思っています。

日本の高度成長時代は欧米が目標であったばかりではなく、マーケットでもあったわけです。
今は中国が世界最大のマーケットとなりつつあります。次は東南アジアであり、インド、中南米、アフリカへとつながってゆきます。

そのためには、日本はこれら発展途上国がマーケットとして成長してゆくことに貢献すべきと思います。
それがひいては自分たちの利益につながることは言うまでもありません。

産業の空洞化により、雇用の減少を危ぶむひとが多いですが、古い技術はどんどん海外へ移転したらいい。雇用の拡大は新しい技術革新無くしてはあり得ません。

日本の「匠の技」がそう簡単にまねされるものではないことに自信と誇りを持つべきです。
知的所有権の概念は韓国ではすでに定着し、中国でも当たり前になってゆくことでしょう。
アメリカは建国の精神のなかで「発明」というものをその柱の一つにしています。

日本では、埋もれてしまっている発明がたくさんあります。
それを掘り起こす勇気も持たなければいけません。

大企業はこの手間を怠っていると言わざるを得ません。
ましてや中小企業の技術に対しては上から目線で、同等に受け入れる度量が見当たりません。
日本の労働人口の80%は中小零細企業が支えています。

海外からの移住者の雇用も中小零細企業しか受け皿になっていません。
私は中小零細企業と発展途上国の交流を活発にするべきだと思っています。
日本からは技術を移転し、発展途上国からは労働者をもっと積極的に受け入れるのです。

母国へ日本の技術を移転するための技術者や専門職の看護師等から窓口を広げていくべきです。
この人たちが日本での自分たちのコミュニティーのリーダーとして育っていけば、次世代においては日本人としての新しい土壌を築いていくことでしょう。

日本の若年労働層の減少はそのまま国力の衰退を意味します。
古い技術を分け与えることを惜しまず、新しい技術の開発に、たゆまぬ努力を続けていかなくてはいけません。

私利私欲だけでは発展途上国の人たちの信頼をえることはできません。
日本人は滅私奉公することを一つの修行ととらえてきました。

田畑を耕すその行為ひとつとっても修行であり、修行により成仏できると説かれ、仏教は普及していった歴史があります。
修行を手段として己に打ち克つことを目的としたのです。

カンボジアをはじめ仏教を自分の宗教とする人は思いのほか多いのです。
ヴェトナムも南部はカンボジア領だったので仏教徒が多く、タイ、インドも多いのです。
親日の人が多い所以のようです。

今の若者は海外にでることが少なくなっています。
これはインターネットのバーチャルの世界でどこへでも行けるようになったからなどと説明する人がいますが、おめでたいひとです。大人である自分がそこに行った気分になって自己満足しているのを子供も同じだと思っているのでしょうか。

それだけ世界中の情報をたやすく入手できるようになったならば、実際に自分の目で確認したくならなければおかしい。それにより、固定観念にとらわれず視野が広がっていきます。
「見ると聞くでは大違い」とはこのことです。

私は親が子供を幸せにする義務をはたすためには、子供たちが夢と希望をもつことのできる環境を整えることに責任を持つべきだと考えています。
それは過保護にすることではありません。

昔から、かわいい子には旅をさせろといいます。
発展途上国もよいでしょうし、欧米でもよい、もっと海外へ修行に出すのがその一つだと思います。

海外へ修行に出すまでもなく、身近なところで外国人のコミュニティーはたくさんあります。
チャイナタウン、コリアンタウンは観光地化さえしています。
韓流ブームもあり以前のようなわだかまりはだいぶ減ってきいるのに、昨今の領土問題は水をさす状況となってしまいました。

この海外からの移住者たち、とりわけ発展途上国のひとたちとコミュニケーションをとることはたいへんよい修行になると思います。
これはもちろん子供に限ったことではありません。

私は子供たちが夢と希望をもつことのできる環境を整えることに大人たちは責任を持つべきだと言いましたが、これは難しく考えることもなく、子供たちが視野を広げることのできる場を作ってあげればよいという意味です。

子供たちは好奇心旺盛です。
ややもすると遊びのなかで度が過ぎて危険を伴うこともあります。
でも遊びというのは、危険が伴えば伴うほど面白いものなのです。

規則によって、あれはしてはダメ、これはしてはダメとすることが、えてして子供の好奇心をそいでいる場合があります。
子供も多少の危険を経験することによって成長していきます。

大人たちが物理的な危険から子供たちを守ることは当たり前のことです。
しかし、精神的な危険を察知する能力は、大人の既成概念でしばってしまうことが逆に危険になる場合があります。

「好奇心」とは「素朴な疑問」と置き換えてみたらよいと思います。
大人どうしで今まで常識と思われていたことが、素朴に疑問に思えることは山ほどあります。

子供たちの素朴な疑問に耳を傾ける努力を大人たちは怠ってはいけません。
それが子供たちの視野を広げ、ひいては大人たちも固定観念にとらわれずコミュニティーを形成できてゆくのだと思います。

2012年10月11日木曜日

ものづくりの現場から⑩

日本の政治家は世襲制になったのでは錯覚するほど2世3世議員が跋扈しています。
ちょうど、幕末の幕閣がアメリカから開国を迫られたとき右往左往していた面々とダブってみえてきます。

事業仕分けで一躍名を馳せた蓮舫議員は政治家の資質は瞬発力にあると言っていました。
これはある意味、的を得ていて、TVに写っているときに質問者に対して当意即妙に受け答えできることが政治家の資質だと言っているのだと思います。

これは政治家が選挙によって選ばれる以上、上手に受け答えできることは有利に働くことは当然です。
しかし、これだけではお笑いタレントがみな政治家になったほうが良いことになってしまいます。

「2番ではなぜいけないのですか?」と有名になったお言葉を発せられたとき、ノーベル賞を取った先生たちに猛攻撃を受け、ますますその知名度をお上げになったことと思います。

槇原 敬之が作った曲でSMAPがヒットさせた「世界に一つだけの花」のなかで「No.1ではなくてオンリー1」というフレーズがありますが、蓮舫さんはあの有名なお言葉を発せられる直前このフレーズが頭をよぎられたのではないのでしょうか。

No.1とオンリー1の意味を取り違えられていたとしたら、それこそ政治家としての資質に問題があります。

私は子供たちが大人に本気で叱ってもらいたいのだが、大人たちが本気で叱ってくれているかどうか本能的に悟り、見透かしているという話をしましたが、これは言い方を変えれば大人たちは本当に自分たちを守ってくれるのだろうかと疑っているということです。

これはそのまま国民が今の政治家に向けている視線と同じです。
今の政府が本気で国民を守る気があるのかどうか疑っているのです。

過渡期という言葉を使って、歴史上価値観が大きく変わる直前の状態を説明しましたが、これはこの国が病んでいる時期です。
つまり民衆が時の権力者に対して信頼を失い、先行き不透明になり閉塞状態に陥っている時期をさします。

「想定外」という言葉を連発し、責任回避をする有様は一種異様にも映ってきます。
「想定外」とは「自然は人智を超えていた」と認識できたのであれば、まだ良いのですが。

私たちが子供のときは「悪いことをしたらおまわりさんにつかまるかバチがあたるよ」といわれればそれなりに効いたのですが、今の子供には通用しません。
「悪いことをしたら想定外のことが起こるよ」とでも言って叱ったらよいのでしょうか。

何とか維新の会という政党が何を復活させたいのかよくわからないという話をしましたが、そもそも、日本の政党名として使われてきた、自由だ、民主だ、自由民主だといわれたところで何がなにやらさっぱりわかりません。

民主主義はDEMOCRACYです。これは主権在民、つまり主権が民衆のもとにあるという人類が獲得した崇高なる思想です。

DEMOCRACYは、やはり人類が苦難の末獲得したLIBERALという原理を経て成り立っています。
LIBERALには日本語では自由という字があてられました。

私はLIBERALと自由は本質的に意味が違うと考えています。
LIBERALとは西洋哲学では「自発的意思の行使」です。

自由は「勝手気まま」です。
LIBERALであるためには責任と義務を伴わなくてはいけません。
自由は責任と義務を伴わなくてよいようです。

LIBERALは血で血を洗う殺戮の歴史のなかで生まれた「奴隷解放」の思想です。
日本では歴史上、西洋でいうところの奴隷は存在しなかったようです。

この西洋の奴隷というものは、ご主人様の所有物であり、所有者が生殺与奪をそれこそ自由にできたのです。
日本では農奴的なものはいましたが割と楽に逃がしてもらえ、主人を選ぶことができたようです。

LIBERALの原義は「束縛からの解放」です。
自由という言葉はもともと仏教用語だったようですが、本来の意味からすれば「解脱」をあてるべきだったようです。

自由は自ずから由ると書きます。
一体これはどういう意味なのでしょうか。

俺は自由だぁ!と思ったとき、俺は解脱したぁ!と思う人はあまりいないと思います。
多くの人は、俺は勝手気ままだぁ!という感じだと思いますが、同じ解放感でも内容はまったく違います。

自ずから由るとは、「なるようにしかならない」ということだと思います。
レッセフェールというよりケセラセラでしょうか。

自由の自は私は自我、自己の自だはなく、自然の自だと思っています。
自然とは自ずから然りです。

自という字は、自らを基点に主観的に回りを見ることと、第三者を基点に客観的に回りを見ることでは、それこそ自ずと見方が変わってきます。

主観的と客観的を絶対的と相対的に置き換えてもよいと思います。

LIBERALは自我、自己の確立を出発点とし、義務には責任を伴うという規範を生みました。

日本人の規範はなにかというと「ひとのふり見て我がふり直せ」です。
これは一見消極的に思えますが、「自分がしてほしくないと思うことはひとにはせず、自分がしてほしいと思うことをひとにしてあげましょう」という積極的な思想に昇華しています。

日本文学の根底を流れるテーマは無私、無我、無常です。
吉田兼好の徒然草から、平家物語、本居宣長のもののあはれ、夏目漱石の則天去私、小林秀雄の無常といふこと、みなこれらがテーマとなっています。
一種あきらめの境地のようなもので、仏教でいえば他力本願による諦観というところでしょうか。

自由の自は主観的、絶対的な自ではなく、客観的、相対的な自、つまり自然の自なのだと思う所以です。
「なるようにしかならない」は「自然に任せてしまおう」ということだと思います。

この時自然は神となります。
つまり、「自由」とは「神の思召すままに」といったところではないでしょうか。

LIBERALとは「自発的意思の行使により束縛から解放される」という意味に対し、自由とは「運を天に任せて後はなるようになれ」という意味のようでだいぶ違うようです。

LIBERALからDEMOCRACYに至る思想は、血塗られた歴史の上に人類が勝ち取った至高なる英知です。

ヨーロッパの絶対王朝時代は王権神授説により、王と取り巻きの貴族以外は皆奴隷でした。マリーアントワネットをギロチンにかけこの英知を手にしたのです。
アメリカでは南北戦争で数多の血が流され奴隷は解放されました。

日本人の血にはこれらの歴史的DNAは流れていないようです。
日本の政党名を日本人が直観的に理解できる人がどれだけいるでしょうか。
私はLIBERALと自由の原義がこれだけ違うとなると、理解しろというほうがどだい無理だと思っています。

私は「自然党」とでも名付けた政党があってもよいのではと思っています。
ドイツ発祥の「緑の党」よりよっぽどわかりやすいと思います。

2012年10月6日土曜日

ものづくりの現場から⑨

日本国憲法では、第一条で天皇は日本国の象徴であると規定しています。
そしてこれは日本国民の象徴ではなくて、日本国民統合の象徴とされています。
これはどういう意味なのでしょう?

この憲法は終戦直後、アメリカのGHQによって作られた原文がもとになっています。
その前の大日本帝国憲法では、天皇は日本帝国の国体であると規定されていました。

つまり、天皇そのものが日本帝国なのだとされています。
よくいわれる「現人神」とは天皇を神としていたことを意味します。

終戦当時、新憲法制定にあたって当時の日本政府とアメリカGHQの間でこの天皇の表現の扱いについて激しいやり取りがありました。
日本側としては精神の支柱ともいえる「国体護持」という考えを引っ込めることに強い抵抗があったのです。

アメリカの原文では「SYMBOL」です。この言葉にどういう日本語をあてるかで苦労したのです。
「象徴」ということばをあてたのは白洲次郎(吉田茂の腹心といわれた人です。)と言われています。
白洲次郎は若くして長い間イギリスに留学していたこともあり、英語もネイティブだったのです。

「主権在民」という人類が獲得した崇高なる原理を日本人も享受できるという喜びと、それとは相反する「国体護持」というそれまで日本人がアイデンティティーとしていた思想のはざまで、白洲次郎は思い悩んだ末、この「象徴」という非常にあいまいな言葉をその条文のなかに盛り込まざるを得なかったのだと思います。

主権者が天皇から国民に移ってはいますが、「象徴」という言葉は日本国民のアイデンティティーは天皇にあるというニュアンスを残す苦肉の策の表現のように見えてきます。

今、天皇が日本人のアイデンティティーでありえているのでしょうか?

いにしえの神話、伝承の時代は天皇ご自身が権力を行使していた時期があったのかもしれません。
しかし、日本の歴史上、少なくとも聖徳太子の時代以降は、建前上天皇ご自身が最高意思決定者ではあっても事実上は天皇を輔弼(補佐し、助言する)するものが実際の権力を掌握し行使してきました。

聖徳太子は天皇になり得なかった人ですし、平安時代の関白、室町、鎌倉、江戸時代の将軍も天皇を輔弼するという建前のもと、権力を行使してきたわけです。
いわば、万世一系の天皇のご威光のもと、その権威を利用して民衆を支配してきたわけです。

明治維新以降、先の大戦の終戦まで、現人神である天皇をお守りすることが、国民の最終目的とされてきました。

明治時代日本は当時最強といわれたバルチック艦隊を撃破したという世界史上において唯一、有色人種が白人に勝ったという奇跡の体験がありました。

この成功体験が昭和に入ってから日本という国の歯車を狂わせ始めます。
当時の軍部は天皇の統帥権を盾に無謀な戦争に突入し、戦局を拡大していき悲劇的な結末を迎えるにいたるのです。

この統帥権というものは、天皇の意思決定のもと権力は遂行されるわけですが、実際は軍部がお膳立てをし、御前会議で天皇が軍部の意向どおりの裁定を下さざるえない状況を作って行使されました。

つまり軍部は、統帥権という天皇の意思を口実に自分たちの責任を回避し、物理的にかなうはずもない相手に、バルチック艦隊を撃破できた過去の栄光に酔いしれながら狂気にはしっていったのです。

それでは、天皇は私たちにとって歴史上本来どういう存在だったのでしょうか。
キーワードは「神社」だと私は思っています。

日本各地いたるところに神社はあるわけですが、皆神主さんがいらっしゃいます。
天皇は全国の神主の頂点、つまり神主の親分だったのだと思います。
したがって、天皇ご自身が神なのではなく、ご先祖様を神としてお祈りし、お祀りするお立場だったのだと思います。

靖国神社は明治から先の終戦まで、れっきとした国家機関でした。
皆「靖国で会おう。天皇陛下万歳」と言って死んでいったのです。
靖国神社には、天皇のために命をささげることに喜びを感じている旨を綴った家族に宛てた特攻隊員の手紙が展示してあります。

天皇をアイデンティティーとしてきたこの人たちは、それを否定された瞬間、自分たちの死が無駄であったことになってしまうわけです。遺族にとっては耐え難いことです。

しかし私は、靖国神社というものは日本人の本来のメンタリティーにはそぐわないものだと思っています。

日本人が戦争をして、戦死者をお祀りするのは、殺した相手を祀り、慰霊鎮魂するのが先です。
聖徳太子ゆかりの法隆寺しかり、菅原道真を祀った天満宮しかりです。
これらは時の権力者が戦争で殺した相手の怨霊から祟られるのを畏れたことに由来します。
実質的には殺された側の遺族に対しても幾ばかりかの慰めになったのです。

靖国神社はどうかというと自分たちの仲間しか祀っていません。戊辰戦争では新政府側のみ、西南の役にいたっては、西郷隆盛さえ祀られていません。

西郷隆盛は維新の大功労者であることは言うまでもありませんが、新制度になじめず、既得権益を失った旧武士の不平不満を一身に受け、新政府に対して反乱を起こし、死んでいったわけです。

自分の死をもって維新を成就させたといっても過言ではないでしょう。
先の大戦では敵方であった連合国側の死者は当然のごとく祀られていません。

私は今からでも遅くはないので、先の大戦での敵方であった連合国側の戦士者を慰霊鎮魂する施設を国の予算で作るべきだと思っています。

今回の東北大震災で慰霊碑をつくる計画がありますが、いっそのこと一緒にこの人たちも慰霊鎮魂していただきたい。

天皇皇后両陛下が被災地を訪ね、ひざまずきながら被災者を慰めてお歩きになるお姿は本当に胸をうたれます。

私は東北に遷都されてはと思っています。
天皇ご自身が先頭に立って被災地の霊を慰め、世界平和の象徴として先の大戦の戦死者の慰霊鎮魂をつかさどっていただきたいと思っています。

遷都するからには、国会議事堂はじめ行政機関、要するに霞が関がそっくり移転すべきです。
そもそも行政の中心地と経済の中心地が近すぎるとろくなことになりません。

東京一極集中をやめ地方分権を進めるのはもちろん、首都直下型地震がいつ来てもおかしくない今、防災機能を充実させるためにも、同時並行的に行えば経済波及効果は計り知れません。

なによりも東北が首都となり、世界に対して世界平和と核廃絶ををアピールすれば、経済一辺倒の国では無く、日本人への信頼と尊敬、そして日本人としての誇りを取り戻せるようになると思います。
それとも首都直下型大地震が来るのを待つべきなのでしょうか。

私はやはり、天皇は日本人にとって、心のよりどころの一つであり続けられるのであろうと思います。
日本国憲法の第一条は「天皇は日本国民統合の象徴」ではなく「天皇は世界平和と核廃絶を祈念する日本国民総意の象徴」とでも書き換えたらよいのではと思っています。















2012年10月5日金曜日

ものづくりの現場から⑧

今オキナワではオスプレイをどうするかでもめています。
オスプレイが日米安全保障条約上(この本質は日米軍事同盟です。)どれだけ戦術的に有効であるかはアメリカのおっしゃるとおりでしょう。
しかし、問題の根っこはもっと違うところにあるようです。

オキナワは返還されたとはいえ、米軍基地のほとんどを押し付けられたままです。
アメリカにしてみれば守ってあげているのだから当たり前だろうというのが、本音。

オキナワにしてみれば、見捨てられたことに対しては体裁を整えてくれたはいいが、本質的にはなにも変わってないというのが本音だと思います。

核の傘による抑止力という論理が今でもまかり通っています。
アメリカ第7艦隊のプレゼンスによって日本は守られているというわけです。

方や日本では原子力発電所を作り続けてきた裏には、いつでも核兵器をつくることができるのだという、消極的な核による抑止力を捨てないことを、歴代総理大臣の申し送り事項にしてきたようです。

これはキッシンジャーが公に論評(CIAが調査済みということでしょう。)してはばからず、憂慮していたことです。
アメリカは枢軸国でもあった日本には核を持たせるわけにはいかないというのが、本音です。

なんとも情けない話です。
私は、日本という国は核廃絶と世界平和を国是とすべきと考えています。
これを根本思想として憲法も改正してほしい。

これを大前提としてお話します。
私は日本の技術力をもってすれば、アメリカ、韓国、台湾と共同のもと完璧なミサイル迎撃態勢構築は可能なのではないかと思います。

レーガン大統領のスターウオーズ計画はコスト的に時期尚早だったわけですが、あれによりソ連の崩壊は進んだのです。

この迎撃態勢を整えるにあたって日本は空母を持ち、潜水艦の数を増やすべきと考えています。
憲法9条で専守防衛が規定されている以上、日本は空母を持てないというのがあらかたのご意見のようですが、それは原子力空母のことでしょう。

原子力を使わず、専守防衛に特化した空母を作ることは決して夢ではないと思います。
私はこれを「空母ヤマト」計画とでも呼んだらいいと思っています。

原子力を使わず、自然エネルギーでゆくなら自然力空母でいったらいいじゃないですか。
海上移動式基地、ロボット兵力等これらは核ではない抑止力になり得ると思います。

この迎撃態勢はアメリカ本土へ発射されたミサイルも根元で撃ち落とす能力を補完する意味を持ちます。

東北大震災において、アメリカ軍の「作戦TOMODACHI」がどれほど私たちに感動を与えてくれたことでしょう。
これに応えるため、物理的にも精神的にも、その礎を築くべきではないでしょうか。

私は10年以上も前になりますが、横須賀の自衛隊基地を視察に行ったとき潜水艦の内部を見せてもらったことがあります。

基本構造は化石燃料による水蒸気でタービンを回し、発電機を回すことによって発電し、その電気によってモーターを回し、スクリューを回します。

エンジンですとソナーによってスクリューの音を探知されてしまうのです。
バッテリーはまだ高価とはいえその容量性能は飛躍的によくなっていて、これひとつとっても航続距離はかなり伸びます。モーター発電機に至っては旧態依然のままでしょうからここにもメスを入れるべきです。

米ソが核弾頭の数を増やしたような愚を犯さずとも質の向上により、総合的に防衛体制を整えればレーガンのスターウオーズ計画のような莫大な予算は必要ないはずです。

日本人の「匠の技」を駆使し、きめ細やかな整備、配備による質の向上を図れば、これこそが戦争の抑止力になっていくと思います。

2012年10月3日水曜日

ものづくりの現場から⑦

一昔前、日本の3大ネーミングはなんだったと思いますか?
銀行も今では皆似たような横文字になってしまっていますが、
それは「朝日」「富士」「桜」です。

日本人の自然崇拝はここにもあらわれています。
朝日に手をあわせ、富士を崇め、桜を愛でる。
鰯の頭も信心からで、何も難しく考えることはなく、日本人のアイデンティティーはこれでよいのだと思います。

日本人は自然の恵みにより生計をたて、自然の脅威にさらされながら知恵をしぼり、ときとして天罰をうけてきたのです。
今回の大震災は天が与えた日本人への試練なのかもしれません。

フクシマは放射能汚染との戦いで、さながら戦場です。
風評被害により、人は寄り付かないし、現地で作ったものはそとに出せません。
フクシマという地域は大手自動車メーカー、電子機器メーカーの下請け集積地でもあり、高い技術力のあるところなのですが、仕事が激減してしまっています。

私も長年付き合いのある中堅モーターメーカーがフクシマにあるのですが、そこの営業の方から直接聞いた話では、名古屋の大手メーカーに納品にいくにあたっては、フクシマナンバーの車では嫌がられるので、県境でわざわざレンタカーに乗り換えていくのだそうです。

前に震災特区のお話をしましたが、現在フクシマでは地元の中小企業が結集して、新規事業の立ち上げに取り組んでいます。
自然エネルギー普及のための機器を自ら製造販売していこうというわけです。
私も、ものづくりの現場のハシクレとして、少々お手伝いさせていただくため準備中です。

私の母方の実家が岩手の遠野で、顔見知りの親戚が釜石、宮古にいたりして震災直後はたいへん気を揉んだものでした。

私はフクシマが震災地のみならず、日本そのものの復興再生の象徴になると思っています。
それはフクシマの前にヒロシマ、ナガサキがあり、オキナワがあるからです。

私の父親は医者だったのですが、医者の不養生というやつでしょうか50代で早死にしました。私が高校一年のときでした。

ヒロシマへ原爆が投下された直後、さる自治体の勤務医だったこともあり、いの一番で現地に派遣され被爆したのです。
私の妻の母親もヒロシマの市街で被爆しています。
いわば、私も妻も被爆2世であり、私たちの息子はりっぱな被爆3世ということになります。

うちの息子は中学2年生でゲームとマンガとバスケットが好きな普通の少年です。
先日、「はだしのゲン」を読んで感動したという話を聞いて、実は君も被爆しているんだよと教えてあげました。

放射能による被爆が遺伝的に子子孫孫に対してどのように影響をおよぼすのかは残念ながら今の医学では解明できていないようです。ただただその悪影響が薄まっていくことを願うばかりです。

私も妻も親たちから原爆が投下された直後の、それは想像を絶する悲惨さを聞かされています。

私は息子に「はだしのゲン」を読んで感動したことはとても大事なことであり、遺伝的な悪影響が薄まるかどうかは解らないけど、あの悲惨な記憶を孫子にも語り継ぎ、いつまでもその記憶を薄まらせてはいけないんだよと話してあげました。

私は今回のフクシマ復興再生プロジェクトに関わらせていただけることをたいへん誇りに思っています。
このプロジェクトは日本という国にとっても大変大きな意味を持つと思います。
それはもう二度と、中央は地方を決して見捨てないんだということを試されているからです。

大戦末期、中央はオキナワを見捨てました。
「ひめゆりの塔」がそれを今でも語っています。



















2012年10月2日火曜日

ものづくりの現場から⑥

日本人がアイデンティティーを喪失してしまって久しいとよくいわれていますが本当にそうなのでしょうか?

私は子供たちに週末バスケットボールを指導しています。指導というとエラそうですが、ボランティアというより自分の趣味でやっています。ようするに一緒に遊んでいます。

遊びの延長でやっているようなものなので、強制はありません。来たい時に来きて帰りたくなったらいつでも帰します。そのかわり悪ふざけの度が過ぎたり、誰かに迷惑をかけるようなことをしたらこっぴどく叱りつけます。

子供は大人に叱ってほしいのです。子供は大人が自分を本気でしかってくれているかどうか本能的に悟ります。
大人は子供を叱る根拠を見失ってしまっているようです。これがアイデンティティーの喪失なのかもしれません。
私たちが子供のころ叱られるパターンは主に二つありました。
一つ目は「悪いことしたらおまわりさんにつかまるよ。」です。
今では警察官の不祥事が後を絶たず「おまわりさんだって悪いことしてるじゃん」と言われてしまう始末です。
これは警察官に限らず官僚機構の権威の失墜を意味します。
主権在民というのもどうやら疑わしく、明治以来官僚統制国家から抜け出せずにいます。
官僚にぶらさがった既得権益集団は手を変え品を変え肥大化してしまいました。
二つ目は「悪いことしたらバチがあたるよ。」です。
昔は近所の氏神様なりお稲荷さんなりご先祖様なりにバチがあたらないようにしていたものですが、どうやら今はバチをあててくれる神様を見失っているようです。
戦前は天皇が神様だったわけですが、それが間違いであったことは論を俟たないと思います。
私は自分の宗教はなにか聞かれたときに戸惑います。
お墓はお寺にありますし、家では仏壇もあり仏教徒なのかと言われればそうなのかもしれないし、
正月には神社仏閣を参拝し、近所のお祭りではチビたちが悪さしてないかのぞきにゆき、12月24日だけはクリスチャンになってしまうごくごく一般的な日本人だと思っています。
欧米にかぎらずキリスト教のひとはキリストがイスラム教の人はアラーがとみな心のよりどころ、もっと言えばその神によって導かれた規範があります。
日本人は規範とすべき心のよりどころの神様のようなもの(倫理観をささえるものといったらよいでしょうか?)を見失っているようです。
自信をもって子供を叱れないのです。それを子供たちに身透かされてしまっているのです。
日本人はこの神様のようなものを失くしてしまったのではなく、ただ忘れてしまっているだけと思っています。
司馬遼太郎のことばで、「人類といえども自然の一部である。」これは小学校の教科書にも載っているようです。
「自然」という言葉と英語の"NATURE"という言葉とはまったく別だと私は常々思っています。
"NATURE"とはキリスト教では唯一絶対の神が創造し、人類が神の代理として支配するという思想だったわけです。(今ではダーウィンの進化論等でだいぶ修正がくわえられているようですが。
この思想のもとに自然科学は欧米において発達してきました。
人類が"NATURE"をコントロールできると思って、いきついた先が核のボタンです。
だれかが核のボタンを押してしまえばこの地球は何百回でも破滅します。
核の管理の徹底化で防げるという人は、この世に裁判所も刑務所もいらないと言っているのと同じです。
核兵器がテロリストのもとにいつ渡るやもしれない今、人類が"NATURE"を支配しえないことは自明の理です。
それに対して日本人の宗教観は根底に自然崇拝がありました。
自然(NATURE)は支配するものと考えるのに対して、自然を神と考えるのでは180度違います。
 
「山川草木悉皆成仏」という思想は、いってみれば自然のなかのもの個々すべてに魂が宿っているという意味です。

われわれものづくりの現場でもこの思想は生きていて、職人というものは鉄の塊といえどもそのなかに魂をこめて作り、技を磨いていきます。「匠の技」とはこういうものだと思います。
1μとは1/1000mmですが、まさにその単位で鉄を削り、磨きます。本当に神がかり的でいつも感心させられます。
今では腕の良い職人が本当に少なくなっています。これはそのまま開発力の衰退を意味します。
開発時の試作においては現場の職人と技術者の信頼関係による連携の良さが成否を決めるといっても過言ではありません。

人間は必ずミスをします。ひとりがミスをしてもそれを回りの人たちがフォローしていくことにより開発は進みます。ひとりではなにもできません。チームワークが肝心です。
 
司馬遼太郎のことばの「人類といえども自然の一部である。」はこういったことにもつながると思うのですが、もう一つ大事な一面は「他者との違いを認め尊重する」ということです。
世界各地で戦争が後を絶ちません。その要因の一つに宗教の違いがあります。
キリスト教もイスラム教もユダヤ教も自分たちの神が唯一絶対であり他者を認めようとしないことに最大の問題があります。
私をはじめ日本人の宗教観はいい加減といえばいい加減なのですが、逆にいうと他者を受け入れることに寛大であることを意味します。自分たちと違う価値観を認め尊重できるということです。
私は世界各地の宗教戦争の仲裁を日本人はもっと積極的にかってでるべきだと思っています。
経済のグローバル化が進み、自分たちは儲かっていればいいんだという時代はもう終わりです。
日本は経済は一流、政治は二流と言われてきましたが、今や経済も二流三流に落ちようとしています。
経済力を維持したいのであれば、なおのこと世界の紛争解決に向けて政治力を発揮すべきです。
経済力は世界平和という目的のための手段でなければいけません。