2017年1月16日月曜日

メリル・ストリープのゴールデングローブ賞授賞式におけるスピーチについての考察

今回のメリル・ストリープのスピーチは歴史的にも価値のあるものであったという一般的な評価の反面、SNSにおいては99%に対する1%の富裕層の代弁者としての偽善であったという評価の両面で物議を醸しています。

はてさて、問題の本質はどこにあるのでしょうか?

私は、メリル・ストリープのスピーチにいち早く賛意を表明したロバート・デニーロとワンセットで考えてみたいと思います。

ロバート・デニーロはフランシス・フォード・コッポラの「ゴッドファーザーPartⅡ」において「PartⅠ」でマーロン・ブランドが演じたドン・コルリオーネの若かりし頃を演じ役者としての確固たる地位を確立しました。

彼は、イタリア系移民の子として生まれ、ドン・コルレオーネの役作りにおいては、シチリア島に住んで、イタリア語をマスターした後、マーロン・ブランドのしゃがれ声を完璧に模写したほどでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AD

代表作の「タクシードライバー」では、ヴェトナム帰りの元海兵隊員である主人公が精神を病んで、次期大統領候補暗殺を企て、テロリストへと変貌していく姿を描いています。監督はマーティン・スコセッシで、ロバート・デニーロとのコンビで数々の名作を世に出してきました。
マーティン・スコセッシもシチリア系イタリア移民の子として生まれました。

「ゴッドファーザーPartⅡ」のコッポラファミリーはシシリアンとの地縁、血縁のつながりが深いのではと推察しています。

マフィアであるシシリアンはアメリカにおいてもシチリア島出身者でなければボスにはなれません。
それほど、地縁、血縁を重んじます。

シチリアの歴史は古代、ギリシャ、カルタゴ、ローマと入れ代り立ち代りの支配を受け、中世においてはカトリック、イスラムの支配争いに翻弄され、近世においては、スペインの支配、ナポレオン戦争を経て、近代イタリア統一に向かいます。

シチリアではイスラム、カトリック等、宗教が混然一体として寛容性が育まれてきたわけです。

また、民族としは、北アフリカのチュニジアとも目と鼻の先で、カルタゴの支配をうけたこともあり、アラブ系(セム系)の住民が多いのも特徴です。

特に海洋民族のフェニキア人(セム系)が多く、地中海をまたにかけて、イベリア半島からエジプト、フェニキア地方(現在のレバノン)までの地中海交易において重要な役割をはたしてきました。

シシリアンのパレスチナの地への思いが深い所以です。

シルベスター・スタローンの「ロッキー」において、妻のエイドリアン役を演じたタリア・シャイアはフランシス・フォード・コッポラの実の妹です。

シルベスター・スタローンと大親友のアーノルド・シュワルツェネッガーの代表作は「ターミネーター」です。

「ターミネーター」の監督はジェームズ・キャメロンです。

私は今回のトランプ新政権のなかで、財務長官に指名されたスティーブン・ムニューチンに注目しています。
ゴールドマン・サックス出身ということばかり取りざたされていますが、ハリウッドの投資家として有名で、オリバー・ストーン、ジェームズ・キャメロンと親しい間柄です。

オリバー・ストーンの「プラトーン」はヴェトナム戦争批判、ジェームズ・キャメロンの「アバター」はアフガニスタン紛争、イラク戦争批判であり、二人ともアメリカの軍産複合体の暗部を抉り出そうとしてきました。

ハリウッドの映画業界はアラブ、ユダヤの大富豪の余剰金で成り立っていると言っても過言ではないようです。

それも、反戦、平和主義者によって支えられてきています。

メリル・ストリープのスピーチのなかで、人種、民族、宗教の差別による排除の論理が横行すれば、ハリウッドで映画を作る人はいなくなってしまうというくだりがありますが、まさにその通りだと思います。

ここで、よく考えねばならないことは、反ユダヤ、反イスラムについてです。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は三大一神教といえども、みな同じ旧約聖書を原典としています。
過去2000年の歴史においては、平和主義の寛容の精神で共存共栄してきたのが大半です。

一部の過激派に対する反イスラム的風潮と軍産複合体に操られた戦争屋による反ユダヤ的風潮を増長するような単純化は、本来穏健なイスラム、ユダヤの人たちにとって大変危険なものとなります。

トランプの政策は反イスラム、親イスラエルととらえる論調が大半です。
イスラムへの偏見とパレスチナ人迫害のイスラエル強硬派と与するのであれば、危険は際限なく増幅されていくことでしょう。

そういう意味でメリル・ストリープのトランプ批判は歴史に残る名スピーチであったと思います。

話を戻しますが、ロバート・デニーロはやはり「コッポラファミリー」として、シシリアンの地縁、血縁関係なのだと思います。(私の勝手な推測ですが、)

シチリアはキリスト教とイスラム教が共存共栄してきたところです。
人種的にはアラブ系が多く、シシリアンの心のゴッドファーザーはPLOのアラファト議長だったと聞きます。

メリル・ストリープのスピーチをロバート・デニーロの賛辞とワンセットで読むべき理由はここにあります。

イスラエルは今後単純化された反ユダヤ主義により、世界で孤立していく可能性が大きくなっていくものと思われます。

トランプの親イスラエル政策が、平和主義者の集まりのハリウッドのスポンサーであるスティーブン・ムニューチンの起用に見られるような深謀遠慮によって、パレスチナとの融和をもたらすことを企図したものであることを願ってやみません。

また逆にロバート・デニーロのメリル・ストリープへの賛辞がハリウッドは平和主義者ばかりではなく、テロに訴えることも辞さないことを暗に仄めかしているようにも思えてきます。

しかしながら翻って考えてみますと、メリル・ストリープのスピーチはトランプ批判であり、マスコミ批判であることはその通りです。

差別が差別を生み、憎悪を増幅し、暴力が暴力を生んでいく悪の連鎖を断ち切らねばならないとの指摘は、歴史的名スピーチとして語り継がれることでしょう。

これを他人事ではなく、個人としての私たち自身が真摯に受け止めねばならないというのがことの本質であると思います。

ユダヤ人のなかでもアシュケナージ(白人系)とセファラディー(セム系)の確執が最終段階にきているというのも単純化され過ぎの感を否めません。

アシュケナージはロシアにおけるポグロムとナチスによる迫害により東欧諸国を追われ、心の祖国であるイスラエルに移住したわけですが、昨今、セファラディーがセム系であることに対してアシュケナージが白人系であるため、民族の出自としての正統性に疑義が提出されてます。
民族性、宗教性(改宗を余儀なくされた歴史)の両面おいての疑義による二重の苦しみを負わされることになってしまっています。

ディアスポラの民であるユダヤ人としてのアイデンティティーが迫害を受けた根拠とイスラエルの地に帰還できたという根拠の両面が嘘であり、騙されて続けてきたことになりかねないわけです。

アシュケナージとセファラディーの確執の決着ではなく、相互理解による融和でなくてはなりません。

イスラエルのユダヤ人どうしにおいても寛容の精神が喚起され、ひいてはパレスチナとの共存共栄が一日も早く達成されることをと願ってやみません。

「コッポラファミリー」がシシリアンかどうかはわかりませんが、そういう仮定のもとの一例として、ロバート・デニーロ(決して彼をシシリアンと断定しているわけではなく、あくまでもそうかもしれないと仮定してのことです。)が他人事ではなく、自身のこととしてメリル・ストリープのスピーチを受け止め、現在もなお虐殺、迫害が続いているパレスチナ、シリアに思いを馳せる人たちが他にもたくさんいるはずです。

日本の自衛隊が丸腰同然で南スーダンに派遣されました。
自衛隊員のご家族の心中は察するに余りあります。

世界規模の経済的混乱が間近であることは多くの識者が指摘しており、第三次世界大戦に日本も巻き込まれる危険性が日増しに高まりつつあります。

70年以上前、日本人も難民でした。
島国から逃げることもできず、アメリカの属領のままでいるわけです。

メリル・ストリープのスピーチを単なるトランプ、マスコミ批判にとどめておかず、私たち自身の問題として受け止めるべき時期になってしまっていることを肝に銘じるべきだと思います。


2016年5月31日火曜日

オバマ大統領の広島訪問について想うこと

オバマ大統領の「空から死が降ってきた」という言葉で始まる演説は、実態が伴わず空虚さをぬぐえません。

謝ってくれなければ、赦してあげることはできないわけで…

連合国の要人を招いての戦没者の慰霊鎮魂は、伊勢神宮がふさわしいとは思えず、ましてや靖国神社ではなおさらです。

オバマ大統領が「謝る勇気」を持ち合わせていなかったとは思えず、日本側で謝られては困ると言う論調があるようです。
先に真珠湾、南京で謝らなくてはということのようですが…

連合国側の戦没者も一緒に慰霊鎮魂できる場は「赦しあえる場」となるのかもしれません。


オバマ大統領の広島訪問が、核兵器廃絶、世界平和に向けての歴史的偉業となるのは、このさき広島という場が「謝罪しあい、赦しあえる場」となったときだと想います。

2015年5月19日火曜日

サンマリノ共和国との友好親善について②

サンマリノ神社仏閣の意義についての考察

サンマリノ神社の祭神は出羽三山で、月山、羽黒山、湯殿山の総称です。

月山の祭神は、月読命で本地仏は阿弥陀如来です。
羽黒山の祭神は、稲倉魂命で、これはいわゆるお稲荷さんのことで本地仏は観音菩薩です。
湯殿山の祭神は、大山祇命、大己貴命、少彦名命の三神ですが、代表して天照大神として本地仏は大日如来です。

これらは、曼荼羅の大日如来、阿弥陀如来、観音菩薩に通じます。

天照大神は、日本書記、古事記のなかで最高神の地位を占め、太陽の神であり、本地仏の大日如来も曼荼羅の中央に位置し、文字通り太陽神です。

月の神とされる月読命は太陽を象徴する天照大神と対になっていて、ギリシャ神話の太陽神アポロンと月の神アルミテスと比較されます。

月読命の本地仏である阿弥陀如来は弥勒菩薩と同じと考えてよいと思います。
菩薩は修行の身で、悟りをひらいて如来となります。
弥勒菩薩のミロクの語源は、インド仏教ではマイトレーヤ(メッテイヤ)であり、救世主メシアと同じです。
インド神話ではミトラであり、イラン神話、ゾロアスター教においては、ミスラです。

稲荷神は穀物、食物の神であり、稲荷と狐は同一視され女性的です。
真言密教においては、だき尼天であり、インドの女神ダーキーニーです。
観音菩薩は中性説もありますが、見るからに女性的です。

したがって、出羽三山の祭神の本地仏が、曼荼羅の仏に相通ずることは明らかなようです。


さて、話は飛躍しますが、ご批判、ご非難を被ることは承知の上で、曼荼羅とキリスト教、ユダヤ教、イスラム教との関連性について考察を進めたいと思います。

私はものづくりの一技術者で、宗教家でも学者でもありませんが、宗教家が宗派間の対立を生んでいる現況は、世俗化していることの裏返しであり、学者が細分化していく学説に拘泥するあまり、視野が狭くなっているのは、科学的、論理的、抽象的思考から逸脱していると言っても過言ではないと思っています。

戦国時代、ザビエルがキリスト教を日本で布教を始めた当初、デウスを大日と呼びました。
デウスはラテン語で神のことであり、英語ではゴッド、ヘブライ語ではヤハウェです。

語源は、インド・ヨーロッパ祖語のディヤウスdyeus「天空」に由来し、多神教の最高神であり、ギリシャ語のゼウス、インドのサンスクリットのデーヴァ、ゲルマンの古ノルド語のテュールも同源と言われています。

キリスト教では、父なる神がデウス、神の子がキリストです。
キリストはユダヤ人であり、デウス=ヤハウェは、ユダヤ教の神です。

したがって、大日如来はデウス=ヤハウェつまりユダヤの神となります。

阿弥陀如来=弥勒菩薩のミロクがマイトレーヤ(メッテイヤ)=メシア=キリストとなります。

イスラム教においては、ナザレのイエスがメシアであると考えています。
クルアーン(コーラン)のなかで、キリスト(ナザレのイエス)は、ノア、アブラハム、モーセ、ムハンマドと並んで預言者という位置づけで、アラー(ヤハウェ)が唯一絶対の神とされています。

キリスト教の三位一体は父なる神ヤハウェと神の子キリストそして精霊です。
精霊の解釈が神学論争となっていますが、私は精霊=聖母マリア(イスラム教の創始者ムハンマド=マホメットの解釈)を支持します。

父なる神ヤハウェ=大日如来、神の子キリスト=阿弥陀如来、聖母マリア=観音菩薩

したがって、キリスト教の三位一体=曼荼羅
これが私の結論です。

三位一体の神学論争は、一神教でなくてはならない学説と多神教あるいは、汎神論を受け入れることにも寛容な学説とのせめぎあいともとれます。

イスラム教のタウヒードは一神教の概念と一般的には思われていますが、多神教、汎神論の概念を包摂しています。

タウヒードの「多即一」は、日本の大乗仏教である華厳経の概念「一即多」と同じです。
「いっしょくた」というのはここからきています。

なんでもかんでもいっしょくたにして一つにしてしまう、これがタウヒードです。

真言密教の開祖、空海は、若いころは華厳経の東大寺で修行しました。
遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を持ち帰ったわけですが、それだけではなく、最澄と共に旧約聖書、新約聖書も持ち帰ってきています。

空海は唐において、インドの仏教、チベットの曼荼羅、ゾロアスター教、キリスト教(景教ネストリウス派)とそれこそ、いっしょくたにして持ち帰ってきたわけです。

日本の仏教がインドの仏教とはまったく異質になった所以です。
インドの仏教は釈迦の思索により、「悟りをひらく」という純粋な哲学であり、釈迦本人は自分を神としたわけではなく、後々弟子たちによって神格化されたにすぎません。
釈迦の教えのなかには、キリスト教のような「救済」という概念はないのです。

空海がキリスト教の「救済」という概念を取り入れたのだと思います。
キリスト教では、天国と地獄、イスラム教でも楽園(天国)と地獄、日本の仏教も同じです。

最澄は法華経の奥義を持ち帰り、天台宗を開き、その弟子法然が浄土宗、日蓮が日蓮宗と宗派が別れていきます。

法然の弟子である浄土真宗の親鸞に至っては「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで「救われる」と説きました。

これは、まぎれもなく「アーメン」と唱えれば「救われる」キリスト教と同じです。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は旧約聖書を原典としています。
それぞれ一神教として排他的になり、宗教紛争の原因となっています。

しかし、キリスト教の三位一体、イスラム教のタウヒードいずれも多神論、汎神論的色彩を多分に帯びているのです。

ユダヤ教のヤハウェはデウスであり、古代ギリシャの最高神ゼウスと語源が同じであることは述べました。
ゼウスは古代ローマでは、最高神ユピテルとなります。

両方とも多神教であり、旧約聖書の完全無欠な絶対神と比べると、とても人間的であり、日本の八百万の神と同じです。

日本人ほど多種多様な人種民族の血が混ざった人々はいません。
日本人の遺伝子の中で、古代パレスチナ人と同じDNAがあることが科学的に証明されています。
いわゆるユダヤ人のなかでもセファラディー(白人系はアシュケナージです。)という人々です。
瞳も髪の毛も黒く、褐色の肌で、キリストもそうだったと言われています。

数千年の長い年月を経て、海と陸のシルクロードを伝って日本列島に渡来した縄文人、弥生人の人々です。

サンマリノ共和国の名前の由来である聖マリノが石工であったことを思うと、聖マリノもキリストと同じセファラディーだったのではないかと思いをめぐらさざるをえないのです。

サンマリノ共和国が掲げるリベルタ(英語ではリベラル)は束縛、従属からの解放という意味の人類が獲得した普遍的思想であることは言うまでもありません。

これはまた、宗教の違いを超えること、すなわち各々囚われることなく、互いに他者との違いを認め合う寛容の精神といえるのではないでしょうか。



今年のルパン三世はサンマリノ共和国が舞台

2015年5月16日土曜日

サンマリノ共和国との友好親善について①

サンマリノ共和国において、日本の神社仏閣が建立される意義について

サンマリノ共和国は1700年以上の歴史において、チンギスハーン、ナポレオンの侵略にも耐え、専守防衛に徹し、平和を堅持してこられました。

日本は、戦後70年、平和憲法のもと平和を維持してきましたが、対米従属の改憲論者たちにより、戦争のできる国へと変貌しようとしています。

第一次大戦後、人工的にひかれた国境により、イスラム教のアラブ諸国と緊張関係にある英仏とは違い、イタリア半島の国々は、原発も武器も作らず、本当に正しく賢い選択をされてこられたと思います。

今、サンマリノ、日本両国が友好を深めることは、世界平和の大切さを訴えるうえで、たいへん意義深いことであると思います。

サンマリノ共和国は、昨年6月、神社を建立されました。
サンマリノ神社は、日本の神社本庁公認であり、日本との友好のシンボルとして、また東日本大震災の犠牲者の慰霊を目的とされています。

祭神は意外にも出羽三山です。
出羽三山とは、月山、羽黒山、湯殿山の三つの山の総称です。
月山神社の祭神は月読命(つくよみのみこと)、出羽神社の祭神は稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、湯殿山神社の祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)がそれぞれ鎮座しています。

しかし、出羽三山は明治維新以降、明治政府の国家神道路線の廃仏毀釈により、なかば強引に神社として整備されました。
それまでは非常に仏教色の濃い神仏習合の聖地だったのです。

廃仏稀釈以前の本地仏はそれぞれ、月山が阿弥陀如来、羽黒山が観音菩薩、湯殿山が大日如来です。
これは曼荼羅の思想に相通ずるもので、日本古来の山岳信仰に密教や神仏習合が混淆して形成されたものです。

サンマリノ神社に宮司として奉仕されているのは、出羽三山で修行されたフランチェスコ・ブリガンデ氏とのことです。
日本の神社に対する海外の人々のイメージは、靖国神社を連想しがちな昨今となってしまいました。
靖国神社は明治維新以降創建され、祭神は日本の軍人、軍属等を祀っているのです。
創建当初から先の大戦の終戦までは、日本の軍部が祭事を統括していました。

いわゆる靖国問題は歴史修正主義との関連で、中国、韓国はもちろんのこと欧米諸国から非難の的となってしまっています。

本来の日本の神社は、伊勢神宮、出雲大社、宇佐神宮、諏訪大社等みな神仏習合の一大聖地だったのです。

サンマリノ神社は日本本来の宗教、伝統、文化を継承してくださっているのですから、戦争礼賛と受け取られかねない靖国のイメージを払拭しなくてはなりません。

日本では奈良時代以降、神仏関係が次第に緊密化し、神宮寺が広まりました。
奈良の大仏で有名な東大寺をはじめとして、伊勢神宮、宇佐神宮等、神社の傍らに寺が建てられ神宮寺となり、神前で読経がなされるようになったのです。

サンマリノ共和国はカトリックの人々が多いとのことですが、古代ギリシャ、ローマの神話時代の面影も残されています。

古代ギリシャ、ローマの神々は日本の八百万の神と相通ずるところが多分にあります。

サンマリノ神社も傍らにお寺を建立し、神仏ワンセットで日本本来の姿を踏襲していただければ、宗教、民族の違いや国境を超え、真の世界平和の象徴となり、世界中から畏敬の念で迎えられることと思います。

2014年11月3日月曜日

岩畔豪雄について⑤

岩畔は軍人であったとはいえ、純粋に平和主義者でした。
彼にはいくつか著作があるのですが、1970年に亡くなった直後に出版されたものに、「科学時代から人間の時代へ」という一冊があります。




結婚した当初、義母からもらったもので、今でもたまに読み返しています。
アーノルド・J・トゥインビー(イギリスの世界的歴史学者)との対談と往復書簡も掲載されています。






岩畔の没後、出版されたもので、「追想起」が付録されています。
友人代表の弔辞を椎名悦三郎が寄稿しています。




椎名は、自民党副総裁時の「椎名裁定」で有名ですが、前尾繁三郎(元衆議院議長)、灘尾好吉(元衆議院議長)と共に「三賢人」と称された人です。
官僚時代は、農商務省(柳田國男も在籍いていた時期があります。)、商工省において岸信介のもと、満州国統制科長、産業部鉱工司長を歴任しました。
岩畔は、南満州鉄道を国有化しようとして、松岡洋右や内地の財界人の反発を買います。

沖縄返還交渉の黒子として日米密約の仲介者であった若泉敬は岩畔の愛弟子です。
沖縄返還交渉自体、岩畔が若泉を椎名に紹介して開始されたのです。

戦後、フジサンケイグループを作り上げた水野成夫は、岩畔機関でインド独立工作に携わった一人です。
岩畔機関には多くの中野学校出身将校の他、東海大学創立者で、日本社会党衆議院議員の松前重義も加わっていました。松前は内村鑑三に師事しました。

水野成夫の起用にあたっては、日本共産党員時代の彼の地下活動経験を岩畔は高く評価したのだそうです。「(インド独立のために)地下活動している人たちの心は、地下活動したことのある者が一番わかる」と言っていたそうです。

岩畔は、右翼というよりは、武人であり、戦前、戦中も有能な人物は、思想背景にこだわらず重用しました。

岸信介、若泉敬、水野成夫も「追想起」に寄稿しています。









「科学時代から人間の時代へ」の内容は、岩畔の軍人としての視点を踏まえ、古今東西の哲学を綜合しようとの大胆な試みがなされています。

岩畔が言いたかったことを私なりに解釈するならば、
「恒久平和を維持するためには、武力も必要ではあるが、これからは言葉の力を信じ、どんな相手であろうとも、対話の努力をあきらめてはいけない」
というところでしょうか。

私は戦前から戦後亡くなるまで、岩畔がどうしてあんなにも大きな仕事をやり続けることができたのか不思議でしたが、岩畔が書き残した言葉の中に、すべての答えが集約されていると思っています。

岩畔の意志を継ぐ者のひとりとして、私も微力ながら世界平和に貢献したいと思っています。
そのためには今の仕事であるモーターと発電機を仕上げ、自然エネルギーの普及に貢献しなければならないと思っています。

去年の暮の都知事選において細川護煕が立候補し、小泉純一郎が応援しました。
脱原発をワンイシューとして挑んだのですが、安倍政権のマスコミ操作によって敗北したわけです。

またここにきて、細川、小泉、管、鳩山の元首相4人が連携しての脱原発の動きをみせています。
おそらく裏では小沢一郎が舞台作りをすることでしょう。

細川の祖父は近衛文麿です。岩畔が日米交渉をしたときの首相が近衛なのです。
細川元首相の意志を忖度して、独自に活動する脱原発の右翼があってもよいのではないかと思います。

毎週金曜日、首相官邸前において、脱原発のデモが行われていますが、正義派と思しき右翼の街宣車が邪魔にくるそうです。
経産省前の脱原発テントを暴漢が襲撃した事件もありました。
レイシスト(差別主義者)の在特会のデモは、警察が護衛するかのような有様です。

彼らと対峙する、脱原発の右翼の画像でも撮れれば、もっとマスコミも大きく取り上げるようになるのではないかと思います。

うちの息子も今年の春、駒込学園という高校に入学しました。
この学校は最澄の天台宗の学校です。

一年生は必ず5月に比叡山延暦寺に23日の修行に行かせられます。
精進料理なので肉は出ませんし、お茶碗の音をたてても坊さんにどやされます。
座禅、写経をするのですが、息子は私と同じで膝が悪いので正座が苦手です。

かなりきつかったようですが、最後までやり遂げてくれました。
最終日は夜中の2時にたたき起こされて30Km歩き続ける修行でした。
普段できない経験をさせてもらい女房ともども本当に良い学校に入ることができたと喜んでいます。

最澄も空海と一緒に遣唐使としてキリスト教の教典を持ち帰ってきたひとりとして、岩畔もゆかりがあることに畏敬の念を抱かざるをえません。

今、核のゴミを始めとして、財政赤字はもちろんのこと、負の遺産を子供たちの未来に押し付けて、子供たちに犠牲を強いようとしています。
子供たちの未来を犠牲にして、今の生活の安寧は、あってはいけないことです。


我々大人たちにとっては、子供たちが希望なのです。

2014年11月2日日曜日

岩畔豪雄について④

また遡ること3000年以上昔、海のシルクロードを伝ってきたといわれる縄文人はアラブ系の海洋民族であり、チグリス・ユーフラテス川、現在のイラクのあるメソポタミア文明のシュメール人を祖先としていることは、たいへん感慨深くさせられます。

シュメール人のマークが菊の御紋であり、その子孫でもあるユダヤ人のマークが六芒星であるわけです。菊の御紋が天皇家のマークであり、六芒星が伊勢神宮のあらゆるところで見られることは、歴史のいたずらにしては、できすぎてしまっています。

千年単位で歴史を遡ってみてきましたが、つい160年ほど前の幕末のころを比較して考えてみたいと思います。

坂本龍馬が薩長同盟を結ばせたわけですが、その裏ではアシュケナージが暗躍していました。
龍馬のスポンサーでもあった長崎のトーマスグラバーはロスチャイルドの出先機関だったわけです。

長州の伊藤博文、井上聞多らをイギリスに留学させたのはグラバーであり、現地で面倒をみたのはロスチャイルドです。
ロスチャイルドは前にも書いたように白人系偽ユダヤのアシュケナージです。
伊藤、井上はロスチャイルドにてなずけられ、彼らの資金力をバックに明治維新を成し遂げたわけです。

この体制は現在も続いているのです。
白人系偽ユダヤのアシュケナージはロスチャイルド、ロックフェラー連合(シオニスト)なわけですが、金のためなら何でもアリの人たちで、日本の時の政府を手なずけて搾取してきたのは、幕末も今も大差ありません。
先の大戦時でさえ、敵味方にわかれたとはいえ、彼らは武器と石油を売って大儲けしたわけです。

戦後、正義派の右翼は反共産主義を大義名分に連合国に協力しました。このとき主導的な役割を担ったのが、岸信介です。

岸は児玉、笹川らと勝共連合を立ち上げますが、資金源はシオニストであり、統一協会の文鮮明が北朝鮮との取り持ち役だったわけです。
勝共連合と統一協会は表裏一体です。

文鮮明は北朝鮮出身であり、金日正、正日親子とつなっがていたわけで、現在繰り広げられている拉致被害者救出劇は、かなり裏があるようです。

安倍首相はシオニストをバックにつけているとはいえ、さすがに、これからは思うとおりに行かないと思います。
安倍首相の戦前回帰の思想は、さすがにオバマも我慢ならないようです。
靖国神社を参拝することは、日本がアメリカに従属していることを否定する意思表示に他ならないからです。

また東アジアの情勢も変わりました、中国は北朝鮮への石油の供給を止め、韓国朴政権、アメリカ オバマ政権と協調して金王朝崩壊を実行に移しているようです。

しかし、これにも裏があり、アメリカと北朝鮮は同盟を結ぶ可能性も指摘され始めました。
この場合は、戦後の安全保障体制の根本的転換を迫られることになります。

シオニストはアメリカのニューヨークが拠点であるわけですが、政治には関係なく、武器と石油が売れてくれればよいわけで、安倍首相はどうも勘違いしているようです。
シオニスト イコール アメリカと考えて、儲けさせてあげれば、自分を守ってくれて、おこぼれにすらありつけると思っているのでしょうか。

中国が台頭し、今後インド、ASEANが力をつけてくれば、アメリカの力は相対的に小さくなっていからざるをえません。
ドルが世界の基軸通貨でいられなくなるときがくるのかもしれません。
これは、シオニストの屋台骨が崩れることを意味します。

また、地産地消の自然エネルギーが普及し原子力、石油への依存度が減れば減るほシオニストは弱体化していきます。

地産地消とは、インフラとしての送電網のコストを大幅に削減できることを意味します。
福島、新潟の原発による電力が東京で消費されています。
膨大なコストとロス(発電所と電気の消費地の距離が長いほどロスは大きくなります。)の上に、東京都民は生活できているわけです。

福島原発事故の犠牲にもかかわらず、原発が再稼働されようとしています。
原発が本当に安全だと言うならば、東京湾のど真ん中にでも作ったら良いのです。

大川周明が、当時のシオニズム運動が、アラブ、パレスチナの犠牲のもとであったことを看破した(柳田國男も同じ思いだったのではないでしょうか。)ことと相通じるものがあります。

生活の安寧は、他者の犠牲のもとにあってはならないものです。

靖国神社は長州藩の伊藤らによって作られたローカル神社であり、伊勢神宮、宇佐神宮、出雲大社、諏訪大社とはまったく異質なものであり、戦争礼賛神社といっても過言ではありません。


岸も安倍首相も長州出身であるので、靖国が氏神様のようなものなのでしょうが、決して日本の文化、伝統にねざしたものではないと思っています。
明治以降の間違った国家神道による多くの犠牲者を、慰霊、鎮魂するには、靖国は、ふさわしくないと私は思っています。

岩畔豪雄について③

キリスト教にも仏教にも戒律というものがあります。

キリスト教は、旧約聖書のモーセの十戒です。
1.   主が唯一の神であること
2.   偶像を作ってはならないこと
3.   神の名をみだりに唱えてはならないこと
4.   安息日をまもること
5.   父母を敬うこと
6.   殺人をしてはいけないこと
7.   姦淫をしてはいけないこと
8.   盗んではいけないこと
9.   嘘を言ってはならないこと
10.隣人の家をむさぼってはいけないこと

一方仏教は在野五戒です。
1.   生き物を殺してはいけない
2.   他人のものを盗んではいけない
3.   不道徳な性行為を行ってはいけない
4.   嘘をついてはいけない
5.   酒を飲んではいけない

仏教の五戒のうち酒を飲むな(イスラームには当てはまります。)以外はモーセの十戒のなかにありほぼ同じなのです。

「生きて虜囚の辱めをうけず」は戦陣訓のなかの有名な一節で、東条英機が作ったとされていますが、発案は岩畔だったのです。
岩畔が最初提案したのは「盗むな」「殺すな」「犯すな」という単純なものでした。
これはキリスト教と仏教の戒律からであることは明らかです。

空海の大日如来は太陽神で、ユダヤの神ヤハウエを想定していることは述べました。(ユダヤ人の祖先であるシュメール人は太陽信仰でもありました。)
日本書記の天岩戸伝説は天照大御神が太陽神であり、両者は同じです。

ユダヤ教発祥の地シオンは英語ではズィオンと発音します。
日本の祇園祭りのギオンは実はシオンのことなのです。
祇園祭りは717日です。
この日は旧約聖書のなかでノアの方舟が大洪水の後、アララト山の頂上で水が引き人類が再出発を始めた日をさします。

この中で鳩がオリーブの葉を加えて戻ってくる記述がありますが、祇園祭りの山車や神輿にはこの絵柄や波の絵柄が書かれていて、これは偶然では説明ができなくなっています。
また伊勢神宮ではイスラエルの国旗の中にも描かれている六芒星(ダビデの星)がいたるところで見られます。

伊勢神宮にある三種の神器のうち八咫鏡のうらにヘブライ語がかかれていて、それを見てしまった三笠宮が腰をぬかすほど驚いたのは有名な話です。
「君が代」、「さくらさくら」、「かごめかごめ」がヘブライ語で訳すことができ、内容は旧約聖書からのものであることも言語学的に解明されています。
籠目(カゴメ)は六芒星そのものです。

また、邪馬台国伝説の地のひとつである大分の宇佐神宮は全国の八幡神社の総本山です。
八幡はヤハタとも読みますが、これもヤハウエが転化したものでしよう。

岩畔の話に戻します。
天岩戸伝説でも旧約聖書でも岩は神の象徴として描かれています。
岩畔とはイワクロと読みます。
畔のクロはどうもクロス、つまり十字のことのようです。
半分が神道、半分がキリスト教ということでしょうか?

平安京は中国の唐の都に倣って、碁盤の目のようであったわけですが、これはクロスつまり十字を張り巡らしたものと解されています。

前にも述べましたが、平安京の造成と伊勢神宮の創建には、渡来人の秦氏であり、空海のスポンサーでもあった秦河勝が深くかかわっています。

大秦国であるローマ帝国がキリスト教を国教とさだめ、シルクロードを伝って秦氏が中国で布教し、キリスト教が空海、最澄により、日本に持ち込まれた事実を知るに及び、私は岩畔と安徳天皇、キリストとの関係に思いをめぐらさざるを得なくなったのです。

義母から聞いた話は、あまりに荒唐無稽で、信じろというほうが無理なわけですが、いろいろ調べていくうちに、いくつかの素朴な疑問を持つようになったのです。

まず、一介の軍人にすぎなかった岩畔が戦前戦中、昭和通商、陸軍中野学校、登戸研究所という大事業を三つも立ち上げ、推進できたことに対する疑問です。

昭和通商は、三菱、三井、大倉の三財閥に出資させています。
戦後正義派右翼の首魁となる児玉誉士らは、戦前戦中ここを舞台に私腹を肥やしたのは有名な話です。

大本営参謀たちは、陸軍幼年学校、士官学校、大学校とエリートコースを進み、皆成績はトップクラスでなければ、なれなかったわけですが、岩畔の成績はあまりほめられたものではなかったそうです。
たしかにその構想力と行動力は優れていたのでしょうが、それだけでこれらの大事業を進めることができたとは思えません。

軍隊というものは官僚組織の最たるものであり、とても硬直化してしまうものです。
いわゆる出る杭はうたれるで、異端なものに対しては排除の方向に向かいます。
岩畔は異端児の最たるものであったにもかかわらず、あたかも野放しにされていたかのようなのです。

次に、日米開戦前の戦争回避のための日米交渉をしたとき、カトリックの神父のルートを使ったことは前に述べましたが、なぜそのようなルートを使うことができたのかという疑問です。
また、交渉の過程において、コーデル・ハルとの間に信頼関係を構築できたとはいえ、ハルが最前線に、「岩畔を殺してはならない」という通達をなぜわざわざ出したのかということも疑問です。

あともう一つは、戦後、自分の私塾において、若泉、鴨、矢内をはじめとした多くの優秀な若手の人材が集い、現在も行政、学問、経済の各分野において活躍する人たちを、なぜこんなにも多く輩出できたのだろうという疑問です。

義母から聞いた安徳天皇の血筋であるという岩畔家の言伝えは、まあ裏天皇史としてはよくある話ではあります。

しかし、戦国時代、ザビエルがキリスト教布教の拠点とした大道寺が岩畔家ゆかりのものであり、布教を許可した当時の周防の守護大名であった大内義隆が渡来系の出自であったことを考えると、にわかに真実味を帯びてきます。

また平安時代、空海が、渡来人の秦氏であり、聖徳太子の側近でもあった秦河勝の庇護のもと、キリスト教の原典も持ち帰ってきていた事実を知るにつけては、日本の歴史を書き換えざるを得ない一大事と思わざるをえません。

そして、ユダヤの民のディアスポラの直後、陸のシルクロードを伝い中国、朝鮮半島を経由して日本に渡来した人たちが大和朝廷をおこし、日本書記に記述されているように皇室の歴史が始まっているのです。

邪馬台国が徳島の剣山であり、空海が唐からキリスト教の原典を持ち帰ってきたあと、剣山を拠点に活動し、そこにクリスト神社があったことを知ったときは本当に驚かされました。
なぜならそこは安徳天皇伝説の地でもあったからです。

邪馬台国は大和朝廷に負けた後、出雲に移動し、出雲大社になったのが、古事記に記されている国譲りの神話のようです。

長野の諏訪大社もユダヤ教のラビがわざわざ参拝にくるほどユダヤと関係が深いことも有名です。
諏訪は縄文文化の中心地であったことでも有名ですが、諏訪大社の御頭祭は旧約聖書の創世記のなかにあるイサク伝承がもとになっているようです。